彼氏(有澤万里)彼女(渋澤美里佳)のインスタのDMで話す恋愛小説

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インスタのDMで話す彼氏彼女

この話は今年の春休み前から始まったことでインスタのDMのことは今年の春休みから始まった出来事でもあります。

この話の主人公元本庄東中学校卒業生彼氏(有澤万里)と元上里北中学校卒業生彼女(渋澤美里佳)
の物語である。高校名本庄特別支援学校

私達が付き合う前去年2022年4月8日金曜日に初めて一緒のクラスになった。このとき私はりや友と普通高校に行きたくて、早くも支援学校の入学式から終わりたくてずっと支援学校のこと小さな声で1人でぼちぼちと文句を言うってた。なぜなら私は中学三年の支援学校の見学を行ってから中学三年の特別学級の担任から美里佳は高校どうしたいのか言われた。私はそのとき高校のことは急には決められなくて、私は中学三年の1年間の行事と言うか高校入試に関する大切な試験(学力検査)で私は一番最初の学力検査では第1希望児玉白楊高校(環境デザイン科)と書いて、まだ白楊高校が児玉と合体する前の年だったときでもあり、それで第1希望白楊高校と書いた。第2第3希は児玉高校と、本庄高校定時
にした。第4希望まであったのだが第4希望とまでは行きたい高校が無くて、第4希望の書く所までは結局書けなかった。その学力検査が初めて結果が帰ってきたとき私は気づいた、本庄高校(通称本高)定時制なら行けるだろうと気づいたでもそれを中学3年特別学級の秋谷先生と私のお父さんに言うって見たら反対され私は何度も本庄高校定時制なら行けるから本高に行きたいと何度も何度も言うっても反対されもしくは私は父に怒られ私はもう悔しすぎて何度もないてそのとき母が高校決めるときにかばってくれました。でも母も母で父に余計なことを言うなと言われてて、私はそのときもう何も口に出せなくなりあとから担任では無い他の先生立ちに相談をしたところの先生は担任に言い始めその担任は支援学校の受験前日の夜に担任は父に電話をしてまた高校のときにまた母はまた高校の事でかばってくれたのはいいけど、母は父に余計なことを言うなとまた言われててその事を私が丁度2階の階段で聴いてて私はもうどうしようか考えたときに親が勤行をしっかりして行けば大丈夫と言われたので、私は受験当日に勤行して支援学校へと向かい受験が2教科国数終わって体育系運動バスケ、サッカーと、終わったあと、親と子で面接がありそのとき、私は父と受験行ったので、父と私で面接を受けました。私は緊張していたので、声が小さすぎて、面接官に何故この学校を志望たのかとこの学校を入学したら頑張りたいことはって聞かれた瞬間私は突然いつもの普通な声が出せなくなり父に、この学校はやだから普通高校行きたいみたいなことを誤解を招くような事を言うちゃって父が受験終わってその夜に父が私にものすごく怒り始め私は受験終わってその次の日に、学校で最悪な出来事がやってしまい、もう私はこれからどうしたらいいのか分かりませんでした。
でもある日の夜私は母と買い物に行って、これからどうしたら父と仲直り出来るのか考えました。それで考えた結果、私はに受験のときのLINEで誤解を解き謝り父と仲直りすることが出来ました。
その後しばらくしてまだ支援学校の子と普通高校行く子に比べてみて、私の中ではまた頭の中真っ白になりました、でも私はまた父と喧嘩はしたくないと思い、なんにも言えなかった母にはちょっと普通高校行けずに悔しいとは言うったけどね
私は普通高校の子が受験当日の日に言うった。LINEで応援メッセージ送りました、私が普通高校に行きたくしょうがなかったことを理由ちゃんと言いました、私の分まで受験頑張ってね応援してるよと言いました。それからしばらくして私は支援学校高等部合格して、私のりや友も普通高校受験合格し、そのしばらくしてから私達は無事上里北中学校卒業して、春休みで皆と言うか、りや友1人女子と私と私の親だけでカラオケ行った楽しかったです。カラオケ行って終わって夕方になるとだんだん中学校卒業した感が全く無くて最後に家で夜涙が溢れだし、もう中学校生活が終わちゃったんだなぁって思った。それからしばらくして、春休みになってあっという間に春休み終わってから4月8日金曜日に支援学校高等部午後入学式、この日から初めて今の彼氏有万里に出会いました。支援学校高等部入学してからの次の週の月曜日から金曜日までまだ私はまだ学校は慣れなくて、友達は一生作りたくは無いし、喋りたくは無い、さっさと帰って他の高校行くために受験勉強を春休み中にしてたけどどこから勉強したらいいのか分からなくて、入学してしばらくの次の週の木曜日の五六時間目に初めての1年生全体の体育でスポーツテストがあり、そのとき初めて、彼氏(有澤万里)と喋ったり、戸塚はやと、って事初めて同じクラスの男子二人と喋りました。でもまだ私はその木曜日の夜まだ学校に馴染めなくて、普通高校まだ行きたいと母に相談したがそのとき久しぶりに母と喧嘩して母が私自身普通高校にやっぱり行きたいことを父に本当は黙ってて欲しいんだけど言っちゃって、それからしばらくして、私はバスの路線神保原線だったことから路線変えて神川線に入学してから次の次の週の月曜日から改めて同じクラスの男子二人、彼氏有澤万里と戸塚はやと、女子の皆や、他クラスのこと喋れるようになり、またしばらくしてから、1年生のとき私のクラス1組と万里の中学からの親友のクラス2組で本庄市早稲田の近くにあるマリーゴールド丘に行ってきて。その帰りに万里にちょっとからかってはいけど、私は中学ときから面倒くさがりやで水筒持ってこなければ良かったと後悔して水筒帰りも持って帰るのがやだなぁって思ったのですが、私は万里に学校で友達になった、子の水筒で遊ぶかのように、万里に友達の水筒をいました。その後遊ぶのを辞めて、私の水筒を万里に持ってと言うったら持ってくれ私はそのとき持ってくれないだろうと思い何にも考えて居ませんでした。そのとき初めて万里に恋に落ち、その日の夜か次の夜くらいに万里にラブレターを書いた。そのラブレター書いた次の日くらいにラブレターの返事を貰うために私は話があると万里の家に行こうとしたが昼休みに2人きっりで外に出て万里から話って何と聞かれ緊張し過ぎて私は何と答えたらいいのが分からなくて、動揺していた。丁度教室の外で話そうとしたので私は万里にここじゃあ話せないと言うった。そのとき、6限目が数学の時間だった、私はどうしたらいいのか分からなかった。でも、万里はたまたま担任の先生になんでもノートを貰っていたので万里はなんでもノートに話って何と書いてあり、私は今思ってることを言いました。手紙の返事は?と書いた。そしたら万里からおっけ貰い私はなんにも言葉に出せませんでした、それでたまたまそのとき数学のときに私が分からなくて計算を答えられなかったときこっそり指で私が答えられなかった問題の答えを教えてくれたときは本当にうれしかった。
そこから私と万里は付き合うようになり、私友達出来るようなりました。それと万里はバスまで帰れるようになったのと、私が自主通のときにはもう私の自転車のところまで一緒に手を繋いで帰ってくれるようになった。でも何度も私達は学校で手を繋いでは行けないと注意されていたのに、私は先生の言うことは聞きたくなかったなぜなら万里と離れたくなかったからだ、私は初めて好きな人に出会い恋に落ち付き合ってるのに何故手を繋いでは行けないのか分からなかった、先生が言うにはまだ新型コロナウイルスが流行っていて、距離感を取らなければならな時期だったからだった。でも私は距離感とるとかは本当にまじでやだった。二学期始まってから始業式の日に学校が面倒くさすぎてサボり気味だった、次の日仕方なく学校に行ったが、帰りにまた彼氏になった万里と手を繋いで帰れるかなぁと思ったでも担任の先生にイチャイチャしてないのにしてると勘違いされ担任の先生にここは学校だ手を繋いでイチャイチャするなちゃんとしろと言われ私は何だかちょっと私たちを別れされるのが怖かったのか、ちょっと担任の先生に対してムカついた。どうしたら良かったのか分からなかった。何故なら私は小中学生のときに元彼が居たからであった、小学校ときは当日4年生で帰りの会の前に好きな人に告られまだ返事もしていなくそのまま私は小4ときに付き合ってた彼と結局返事はしていないのに周りの目からあの二人は付き合ってると小学校卒業するまで噂されていた、卒業後中学が上里北中学校、上里中学校で別れ私はもうおもいっきて別れようと思い、何も言わずに別れられずに居た。その時私は小学校を卒業ししばらくして中学校を入学して一学期の初めの頃久しぶりに保育園ときの幼なじみに会い、私は幼なじみの子の名前を呼んだ、でももうその時にはあの頃見たいに呼んでくれなく、とにかく私は小学校の頃みたいに私たちが保育園の頃に付き合ってたことがバレたくなくそのまま別れを告げることなくやりたかった私は小5とき少しジュニアバレーをやっていたので好きだった女子バレー部に入部して、その幼なじみの子は陸上部に入り私とその幼なじみの子は部活に望んだ。その後3年間私と幼なじみの子は陸上部とバレーボール部の3年生引退試合まで練習を続け私はバレーボール部の試合1日目上里中と試合に望み負けその後2日目には中2のとき新人戦で負けた今の彼氏有澤万里の出身中学校本庄東中学校付属中学校に勝ち、その後美里中に負け上里中に1日目負けその後2日目にまた私の行ってた上里北中は上里中に望んだが、結果相手が強く負けて引退となり、その後幼なじみの子と進路高校を決めるときに少し会話したがその後何も会話せず卒アルにも小学校ときみたいに好きだった子に寄せ書きお互いかけずに居て中学校卒業式を迎えった。卒業式後も写真お互い幼なじみの子と撮らず、ほかの女子とは取ったものの、中学校3年間が本当に終わったのかと思った。その後私は小学校5年のジュニアバレー一緒にやっていた子と私の親でカラオケ行った。その後私の親と帰るとき私が中学校3年間朝練行くときや朝練じゃあないときに通った道を通って私は独り言で何度もあ〜もう中学校3年間終わちゃったとちょと寂しい思いをしながら帰った。私は思った支援学校入学する前に、もうちょっと中学校3年間ちゃんと勉強しとけばよかったと後悔した。その後春休みになってまだ中学校生活終わりたくなくて中学校の体育着のままでジャージで親と群馬県行ったり後輩と遊んだりしたすごく楽しかった、その後終わったあと家に帰ったのものの中学校卒業してからつちょっとまだ寂しかったのでもあった。
そのまたしばらくして私と万里は支援学校高等部の学校行事で仕事に関する勉強するんで私たち高等部1年生校内実習がありその前にもちょっと何度か先生立ちに内緒で会ったこともあり一緒に本庄のドンキーの中にあるマックでちょっとデートぽいことはしたことある、その帰りにちょっと本庄駅に行くので自転車で階段使って南口から北口に移動すると、階段を自転車で降りようとすると、万里は慣れてるか分からないけど、早く降りてその後私が降りようとするとまだ怖くて慣れてないので慎重に降りようかと思って、慎重に降りたら急にちょっと自転車で転がして降りてるから転びそうになってそこに万里が私に対して大丈夫と言うってくれた。私はそのときすごく嬉しかった、こんなことはあまりないのに今迄の男子二人と付き合ってたと大違いだったと感じこれから私は絶対に万里と離れたくはないと決意した。でも私は学校の校則がやで一二学期反抗や性格口が悪かった。でも私が万里に余計なことやイライラさせちゃったときはなんにも怒らず私が次の日謝ったら許してくれた。そのとき私は思った何で万里はこんなにも優しいのだろうと思った。でも高校1年生の夏終業式の日に私と万里と2組の藤本と一緒にお昼ご飯食べに上里イオンまで行った。私と藤本は当時自主通(自転車)で自力で家から学校まで登下校私は上里から自転車で直接学校に行くと遠いので神保原駅から本庄駅まで電車で通い本庄駅から上里まで家にたまぁにより身しながら帰ってた。私は11月までずっと自主通で電車で帰ってた為、

4/15/2023, 5:15:03 AM