086【もう一つの物語】1022.10.29
私は角膜です。私の持ち主は学校の先生でした。だから私は毎日毎日、たくさんの子どもたちの顔と、黒板を見ていました。楽しかったです。黒板の前の先生を見つめる子どもたちの瞳、あ、わかった!、といきいきしはじめる子どもたちの表情、そのとき血液や神経を伝ってくる先生のよろこび。毎日毎日同じものばかりを見ていましたが、一日たりとも同一であったことはありませんでした。
だけど、残念なことに、先生は事故で亡くなりました。にもかかわらず、私は死にませんでした。脳死でした。先生はもともと、誰かの役に立つことに生きがいを見出すようなタイプのひとでした。だから、万一のときは臓器提供するよう、意思表示していました。そうでした。先生が更新の度に免許証の裏にそう記していたのを、私も見ていました。
私は冷たくなった先生の体から切り取られ、もっと冷たいもののなかに納められ、旅をしたようです。眠っているわけでもないのに何も見えないなんて、私には初めてで、あんなにドキドキしたことはありません。そして、なにやら明るいところに取り出されて、移植されました。
新しい持ち主は、最初は瞼を閉じていました。新しい持ち主が初めて瞼を開いたとき、とても眩しかった。新しい持ち主の目のなかで、目の使い方は、ひとによりクセがあることを知りました。お互い呼吸をつかむまで、ややかかりましたが、私はちゃんとなじむことができました。
新しい持ち主は、旅することを仕事にしていました。ツアーコンダクターというやつです。学校しか知らなかった私が、今度は旅から旅へ、もう一つの物語を生きることになるだなんて。かくして、新しい持ち主といっしょに、私は、日本中を旅することになりました。そのことの、なにが素晴らしかったって。私は新しい持ち主に連れられて、かつて、先生が私の目の前でチョークで黒板に書いていた地名の数々のまさにその場所に、日々、おり立つことになったのです。そこで、私は、子どもたちといっしょに習った建物やら自然現象やらの本物を、目の当たりにすることになりました。百聞は一見にしかずとはこのことです。学びてときにこれを習う、というのはこういうことかと、旅立つたびに驚きを新たにしました。いや、その孔子の言葉は本来はそういう意味ではないのですが、私にはそう思われました。
さて、新しい持ち主もずいぶん長いことこの仕事をしています。そろそろ定年退職です。もう旅よりも家でゆっくりしたい、というのが最近の口ぐせです。きっと私も、日々、新しい持ち主の自宅まわりの景色のうつろいを眺めながら、おだやかに暮らすことになるのでしょう。
10/29/2022, 12:09:43 PM