「こんなところで、何を」
海風が吹き響くなか、薄着を心配したのか。それとも不審に思ったのか。きっとそんな程度の理由で月明かりの下、海風と共に会話は始まった。
「寒いでしょ、早く戻った方がいいよ」
「大丈夫。寒くない」
いくら夏でも、夜は冷える。少し肌寒い上に半袖半ズボンでは温まる手段もない。一点張りの言葉にため息をつき、彼は横に座り込む。
「私と話すつもり?」
「まあね」
満月はどこ一つ欠けることなく完璧なほどに光り輝いている。それに比べて私だけに伸びる影はとことん暗く濁っていた。
「あなたはなんでのぞみ壮に?」
そんなの分かりきっている。ここはそういう場所なはずだ。
「…ごめん。野暮だったね。けど、あなたの事情を聞きたいな」
「人って言うのは自分勝手なの。私も、君もね」
見るなり私より年上の彼は、何故か深く事情を知りたがった。全て話す義理もない私は気が向くだけの過去を話した。
「目の前には水平線しか見えないけど、後ろを見てみて。宿には光が灯ってて、あそこじゃ色んな人が支え合って生きてる。あなたはきっとそう言う場所に戻る方がいい」
「私はその水平線に行きたいの。支え合って、関係が生まれれば、いつかそれは消滅するの。それに依存するから人は醜くなるの」
ただ淡々と、コンクリートの壁に打ち付ける波を感じながら、水平線の向こう側を見つめながら、口は自然と動き始めた。あともう少し、手に力が入れば私は水平線へと吸い込まれていくのに。
「のぞみ荘の人たちはそんなこと知ってる。ここが嫌でも、何処かにきっとあなたを受け入れてくれる人は必ず…」
彼の口はそこまで軽くは動かなかった。
「じゃあ、君は私とずっと居てくれる?空っぽで、醜い私と」
「…ごめん。出来ない」
「知ってる」
彼のことは理解した、つもりだ。彼の口が重たくなった理由も、海風と共にここに現れた理由も。それでも、私の望みは。
「本当は、海だって、空だって、人だって、みんな助け合って生きてるはずなんだ。けど人ってのは不思議なもので、自分勝手に飲まれていくんだ。僕も、そうなんだ」
「私も君も、勝手ね。こんな寛容な世界でも生きられないなんて」
言っていて悔しさが込み出してしまう。きっと後ろの世界も、揉まれていけばなんてことないようになる筈なんだ。それでも海や空のように、受け入れてくれる世界に身を投じたくなるんだ。
彼はそれ以上私の過去について言及しなかった。気付けば私は抽象的な意見ばかりを述べて、具体的な過去は一切話すことはなかった。
「それでも、言うよ。君はまだ行っちゃいけない」
「ありがと。それでもね」
私は礼を言うと立ち上がった。
ここへ来た時から決まってる。
望みを叶えるための、この場所だ。
「私は、死ぬためにここに来たの」
きっと、この涙も大きな海の一部になっていく。
海風が消えると共に、もう彼は見えなくなっていた。
4/4/2023, 5:15:46 PM