みとり

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お題:逃れられない
タイトル:

毎日を淡々と生きていると、時々何かに追われている感覚になる。
それは先生に出された課題かもしれないし、周りからの期待かもしれないし、上司に丸投げされた仕事かもしれない(これは最悪のパターン)。
あるいは、時間の流れ、明日に追われている、なんて人もいるかもしれない。

しかし大抵のことは絶対に逃れられないなんてことはない。
逃げ道があるはずなのだ。
誰かが言う「神は乗り越えられる試練しか与えない」ではないが、本当にそうだと思う。

課題に追われているなら翌日やらずに登校して「忘れましたごめんなさい」「明日までにやります」とか言えばいい。
期待の視線に追われているなら期待に沿えないことを言葉なり行動なりで伝えればいい。
仕事に追われているならできないと方々に謝ったり、誰かに助けを求めたりすればいい。
時間に追われているなら、今日も明日も何も気にせず何もしなければいい。

そう、できないことはできない。割り切ってしまうのだ。

しかし実際はそうしない人が多い。
その理由は主に二つある。
一つは、割り切るには労力がかかりすぎるから。
色んな人に謝ったり言われたことと違うことをするのは時間も精神も削られて非効率だ。
もう一つは、追われているものに打ち勝ったときの達成感を味わいたいから。
期待に応えられたら自分も褒められて嬉しいし、仕事でお客様に喜ばれたらやりがいを感じるものだ。

つまり、自分が追われていると感じてやっていることは、自ら進んでやっていることと変わらないのだ。
方々に謝るよりは自分が仕事をこなしたほうがマシだな、とか期待に応えて褒めてもらいたいな、とか、無意識かもしれないが人間はそういうことを考えながら生きているものなのだ。

明日が来るのが辛いと感じていても実際明日になったら何とか乗り切れてしまうのもそういうことだ。
痛い思いをして死んでしまうよりは生きて明日を迎えるほうがマシだと考えているからなのだ。

…何だか重い話になってしまったが本当に死ぬのは良くない。
それだけ伝わればあとはどうでも良くなってきた。
明日もがんばりましょう。

5/24/2024, 4:08:38 AM