106【距離】2022.12.01
手紙や伝書鳩の時代からインターネットの時代へ、人類は距離の影響を脱して時間差なくコミュニケーションをとれるようになったが、まだ星々との対話には大きな時間差をともなっている。
いまだに星々の「現在」とは、会話できずにいるのだ。
北見辰一朗は天体望遠鏡のアイピースから目を離しながら、ほっ、と白い息をついた。観測に夢中になるうちに、体の末端が冷え切っていた。まずはポッケのカイロで両手を温める。強張りが解除されたら、つぎは水筒。まだ器用さの十分に回復せぬ手で蓋をはずし、沸かしたてのように熱いコーヒーを注ぐと、白い湯気が勃然と立ち上がるのが夜目にもはっきりと見えた。それを唇に近づけ、ゆっくり啜り、飲み込む。
これら一連の動作を、星明りのもと、自分がリアルタイムで視認しながら行っている、ということが、北見にはとてつもない奇跡のようにおもえた。
一転、目を冬の夜空にやる。昔、昔、昔、昔、昔、昔、昔、昔、昔……想像を絶するほどの昔の姿を見せる何百、何千、何億光年の彼方の存在ばかりが無数に、そこには散らばっていた。
手を見る。リアルタイム。星を見る。想像を絶する昔。コーヒーを見る。リアルタイム。また星を見る。想像を絶する昔。湯気を見る。リアルタイム。やはり星を見る。想像を絶する昔。
いつになったら遠い星々の今を知ることができるのか。それはかなわぬ夢なのか。
北見は飲み差しの水筒の蓋を手にしたまま、また望遠鏡をのぞきこんだ。
今、望遠鏡のレンズを通して北見の目に映る恒星のうちのいくつかは、今のこの現時点において、まちがいなくすでに姿を消してしまっている。これら、シャワーのように密度高く降り注ぐ光点のなかに、いわば、死者からの手紙、とでもいうべき煌めきがいくつか紛れこんでいる。しかし、いましも北見の目玉のなかに飛び込み、北見の網膜の上で美しく像を結んでいる光の粒が死者からのものなのかどうか、今の北見には知るすべはない。それはなん世代にもわたって天体の観測をつづけ、記録をとりつづけて、やっと明らかにできるようなものなのだ。
ていうかさ。そのころにはすでに人類がいなくなってしまっている可能性だってあるんだよな。と、北見は微苦笑し、完全に冷えきる前にコーヒーを飲み干した。
そうなのだ。それが天体との文通の流儀というものなのだ。人間ごときが四の五の抜かしてどうこうできるものではそもそもない。ただ、今、見えているものを受け止める。滅びの時がいつになろうが、おそらく人類には、それしかできない。
まるで片思いのようだ、と手探りで北見は水筒の蓋をきっちりと締めた。一方通行でもいい。もう姿が消えてしまっていてもいい。ひとつでも多くの星の姿を捉えたい。北見の口からまた、白い息がこぼれた。あのすばるに、オレの姿が届くころには、オレはもう死んでいる。それでもいい。と。
とにかく北見はただ、ひたすらに星を見ていたいだけなのである。我が身の寿命が尽きるまでそうさせてほしい。北見が星にむかって願っていることは、純粋無垢に、ただそれだけであった。
12/1/2022, 10:27:09 AM