〈衣替え〉
朝が肌寒くなってきたこの季節、布団から出るのが億劫になる。
音楽業界でエンジニアとして働く私にとって、服装は動きやすさ重視で決めている。
ライブやコンサートでの音響を担当したり、アーティストのレコーディングを撮り、その後修正を加えたりと、音のことならなんでも屋さんと言われるほど忙しい日々を送っている。特にライブでの音響、PAエンジニアとして働く時はせかせか動かなければならないので、ライブTシャツにジーパンスタイルが基本。
裏方なので、お客さんからは見られないし、作曲家でもないから楽曲クレジットに載らない。たまには載るが、精々映画のエンドロールで大量のスタッフの中にいるひとりのスタッフ程度だ。
「もっとオシャレしなよ」
昨日の同窓会でそれぞれの仕事の話をしていた時、港区でOLをしている女子から言われた。
確かにこの仕事に就いてから、服装なんて考えてこなかった。動きやすさ触り心地でしか選ばずに、決して、見た目で選んではいなかった。というか、そもそも休日がほとんどない。会社で寝泊まりすることなんてザラにあるし、一度家に戻り風呂に入ってからまた会社に戻ることもある。休日なんて、半日あれば良い方だ。時間は関係なく、依頼があれば仕事をする。不規則で不安定で低収入な仕事だからこそ、服装なんて気にする余裕なんてない。今のレーベルに入社して死に物狂いで勉強した。大抵は専門学校卒から入社するか、一般大学卒でアシスタントとして働くのが主流だ。最近では後者が圧倒的に多くなり、アシスタント同士でも仕事の奪い合いが始まる。それを経て、少しずつ先輩の仕事を手伝い、やっとひとりで仕事ができるようになる。
正直、港区でOLしている人になんか、こんな気持ちは分からないだろうと貶していた。
彼女はばっちりメイクをして、ネイルサロンと皮膚科に定期的に通い、コテで髪を巻き、香水をぷんぷん振りかける。しかも皮膚科は、わざわざ韓国まで行くという。
一方で私がネイルしたら機材を運ぶ時に折れてしまうし、髪を巻けばレコーディング後の修正作業の時に邪魔になる。香水を振りかければ、私自身が匂いに敏感な為集中できない。
同好会も終わりに近づいた頃、目の前の席に座る楠木と視線が合う。
「前田はレコーディングエンジニアだったよな?」
ビール片手に楠木が聞く。
「うん、そうだよ。ていうか今ではレコーディング以外もやらせてもらってるけどね。音響には変わりはないけど」
「アイドルとかのレコーディングとかってさ、『かっこいい!』とか思わないの?」
「うーん、それが思わないんだよね。そもそもこの仕事に就いたのが、音にこだわりがある自分に向いてるんじゃないかって思って目指したから。正直、顔より歌声とか、シンセって言う所謂音源にしか興味ないね」
「へー、珍しいな。音にこだわりがあるって言うのはどういうこと?」
「んー、説明するのは難しいけど好きな音があるっていうのは1つあるかな。曲中で流れてくる、イヤフォンしたらやっと聴こえる低度の低音だったり、コップをスプーンで叩く音とかが割と好きかも」
「具体的にさ、この曲の音が良いっていうのはある?」
「あーそうだね。あの、popgirlって曲、知ってる?」
「知ってる!韓国のアイドルの曲でしょ?」
「そうそう。その子のfor uっていうラップのバックで鳴ってるギターの音色が最近好きかな」
「やー、よくそこまで聴き取れるね」
「職業病的なものだよ」
「あーなるほどね。じゃあ割と歌詞よりサウンド重視?」
「そうなるね」
一気に喋ったのでハイボールをぐいっと飲む。
「楠木は会社員だよね」
「そうだよーオフィスでずっーとパソコンと向き合ってる」
彼は自嘲するように言った。
「ずっとパソコンと向き合うと肩こり酷いよね」
私もレコーディング後の修正作業はパソコンでするので共感できる。
「あれ、やばいよな!背伸びしたら背中らへんの骨がボキボキ言うもん!」
「首とかもなるよね」
まさかの肩こりで盛り上がる私たち。
しかし、今まで肩こりや腰の痛みを笑いながら話していた彼は、顔色を変え、じっと私の方を見た。
それに気づかないほどの鈍感でもないので、さり気なく「何か悩みでもあるの?」と聞いた。
すると彼は、「仕事してる時って、やっぱり動きやすさ重視で服を決めてるの?」と想像の斜め上の質問を問いかけた。
「そうだね。やっぱりTPO的なものもあるし、何より機材を運んだり、意外と動き回るからね。その時にスカートだと、どうしても動きにくいし、服装によっては『前田はあのアイドルの〇〇が好きだからファッションに気を遣ってるんだよ』って言われかねないからね」
「確かに、ライブとか行った時スタッフさんがすごく忙しそうだったし。フリフリの服装で行ったら気があるって思われたら大変だしね」
「そうなんだよね。でも、私は元々パンツスタイルの方が好きだし、ストリート系とかオーバーサイズのものが好きだったから特に何も思わなかっけど、同僚の中にはゴスロリが好きな子がいて、仕事中はゴスロリが着れないって言ってたな」
「あー、やっぱり好きな服を着て仕事した方が捗るしな。そのゴスロリの子は大丈夫なの?」
「全然大丈夫!休みの日にめちゃめちゃ着てるし、インスタに載せてるくらいだから。その子は営業の方だから土日祝日は休みだし定時退社だから、好きなことに時間使ってるよ」
「あっ、営業の方なんだ。休みとかは部署によっても変わるよね」
「変わる!変わる!私なんか久しぶりの休日だよ~楠木はどんな感じなの?」
「俺はそのゴスロリの子とほぼ同じ。会社員だしね。前田は凄いな、忙しい中、今日も来てくれたんでしょ?疲れてないの?」
「疲れてないよ!むしろ元気もらってる感じだよ。うちは制作チームだから、みんな死んだ顔だよ。会社で寝泊まりするのがざらにあるしね。そのせいで若い子は辞めていくんだけどね」
皮肉のように言った。実際、私の後輩も先月辞めたばかりだ。これから伸びる子だと思っていたが、入社してすぐに自分の好きなアイドルのレコーディングを担当できると夢を持っていた彼女にとってみれば、自分の立ち位置が気に食わなかったようだった。入社すれば、推しに会える、付き合える可能性が高まると言った下心を持って面接に臨む人は少なくない。裏方は、ファンでさえも見れないレコーディングやリハーサル、打ち合わせに同席するのだから。そう思うのは仕方がない。ただ、スタッフとアイドルの恋愛は禁止されている。これは音楽業界だけではなく、芸能界の掟である。見つかり次第、スタッフはクビになる。どんなに優秀なスタッフでも。それくらいやってはいけないことなのだ。アイドルとスタッフの信頼関係を維持するためにも必要なことだから。
楠木は聞き上手だ。だから何でもかんでも話してしまう。辞めた後輩のことも聞いてもらった。
同窓会が終わり、各々靴を履き、店の外でタクシーを呼ぶ者、彼氏を呼ぶ者。様々な中、少し離れた所にいた楠木が近づいてきた。
「これ、衣替えって言ったら変だけど、たまたま見つけてこのくらいのアクセリーだったら邪魔じゃないかなって思って。良かったら貰って。休みの日とかにでもつけてよ」
それは小指サイズの指輪だった。しかもその指輪のブランドは、私が勤めてるレーベルとのコラボ商品で、品薄状態になっていたものだ。
「えっ!いいの?」
「うん。前田のレーベルとコラボしたブランドでしょ?自分の会社の商品くらい身につけてたほうが話のネタにもなるんじゃない?」
「ありがとう!すごく嬉しい。欲しかったんだよね」
「それならよかった。今日はあえて良かたっよ、また連絡するね」
「私も会えてよかったよ。本当にありがとね」
「じゃ、俺こっちだから。体に気をつけてね」
「うん。楠木も気をつけてね」
風のように去った彼の後ろ姿を見て、貰った指輪をつけてみた。
仕事柄、港区のOLのように可愛いスカートを履くこともできないし、メイクも最低限しかできない。年中たいして変わらなくて、寒い時はパーカーを羽織るくらいだ。
けれど、この指輪は私にとっての衣替えだ。
指輪をはめ、残っている仕事を終わらせるため、会社に戻る。
いつも違う足取りで向かう。
10/22/2024, 3:12:18 PM