「飴玉みたいだね」と君が評した眼鏡フレームを、折った中指でそっと押し上げる。
ごとんごとん、と鈍く重い音を立てて、電車はゆっくりと停車した。行き先を告げるアナウンスや行き交う人々で賑やかなホームとは裏腹に、心の内はひどく憂鬱だった。
「お隣、よろしい?」
いつの間にか雪から雨に変わった空模様を見るとも無く見ていると、ホームから乗ってきたらしい上品な雰囲気のお婆さんがにこにこと佇んでいた。
「あ、どうぞ。」
2人掛けの席に元々きちんと座ってはいたが、何となく背筋を正して座り直す。「有難う」とお婆さんが隣に座ると、お馴染みのアナウンスと共に、がこん、と電車が動き出した。みるみる後ろへと流れ去るホームの人々を、窓を叩く雨粒がぼかしてゆく。
「お洒落な眼鏡ねぇ。」
「はぁ、ありがとうございます。」
あまり知らない人と話すことが得意ではないので、こういう時は反応に困る。あまり話しかけないでほしいな、などと思っていると、なおもお婆さんは話しかけてきた。
「わたしもね、お嬢さんくらいの若い頃、そういう眼鏡を持っていたのよ。懐かしいわ。」
「はぁ。」
正直予想外だ。お婆さんは繊細な造りの華奢な眼鏡を掛けていて、綺麗に整えられたグレイヘアに、胸元にはブローチときている。全体の雰囲気を見ても、とてもじゃないがポップな若い頃を想像できない。
意表を突かれたこちらの反応を気にする風でもなく、お婆さんは続ける。
「それでね、伊織さんたら、…ああ、伊織さんは、私の旦那様なのだけれど…、その眼鏡は飴玉みたいで美味しそうだね、なんて言うのよ。子供みたいでしょう?」
ふふふ、とはにかむお婆さんは、まるで少女のように頬を染めている。ご馳走様な光景だ。
お婆さん越しの窓の外に、雲を割って光が差し込んでいるのが見えた。雨が上がったのか、電車が雨を通り抜けたのか。
「当時勤め先で、辛い事や、悔しかったり悲しい事があった時、いつもその眼鏡を掛けて伊織さんに会いに行ったわ。そうしたらあの人、毎回同じ事を言うの。飴玉みたいだね、って。何度もそれを続けるうちにね、わたしまで、その眼鏡を見ると、飴玉みたいだな、って思うようになっちゃったのよ。それで、いつのまにかその眼鏡を見ると元気が出るようになったの。伊織さんが笑ってるのを思い出して。」
電車が次のホームに入る為、緩やかに減速してゆく。雨はもうすっかり通り過ぎたようで、光が曇天を打ち払うように幾筋も降りていた。
「それじゃあわたし、ここで降りますので。お邪魔したわね。」
「あ、はい。あ、いや…。」
「じゃあ、さようなら。」
「さようなら。」
一駅だけの道連れは、印象そのままに上品な会釈をすると、現れた時と同じ突然さでホームの階段へ消えていった。
まばらな人影に消えていったのを見届けた所で、ポケットのスマホが震える。メッセージアプリの着信だ。片手で素早くアプリを起動してメッセージを確認する。
『いおりん:何時ごろ着く?』
『私:もう着く!今隣の駅』
『いおりん:なんか飯食お。お前の眼鏡思い出したら腹減った』
…うん、待ってて。すぐ行くからね。
2/13/2024, 5:10:04 PM