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拝啓神様へ
何故私達人間は生まれたのだろう。

一体何のために。

答えは、ただの娯楽
或いは、神の暇つぶし。

私達の存在も、人生も、夢でさえも
神様の手の上にあるにすぎない。

つまり
暇つぶしの玩具である、人間は
神の気まぐれによって
いともたやすく、壊されてしまうのだ。

今も尚、新しい命が芽生えると同時に
終りを迎える命もある。

それは何故か。

私達が、古くなったものを買い替えるように
神も、人間という玩具を新調しているのだ。

神にとっては私達など、消耗品でしかなく
古くなったら捨てるだけなのだろう。

翻弄されることしかできないことに
私は、無力な自分に腹がたった。

当然のことながら
私達は、神に干渉することはできない。

勿論、神の絶対的な力にも
決まってしまった運命にも抗うことはできない。

だからこそ人間は、神は慈悲深いだなんて
思い込み、崇め、尊ぶことで
私は幸せだ、と錯覚することができるのだ。

いつしか、その信仰心は確実にその身を蝕む
そんな事わかりきっているはずなのに。

なんて私達は哀れなのだろう。

結論をいうと、生まれた意味など存在しない。

拝啓、神様へ
何も与えてくれなかった
無邪気な神へ。

私はただの消耗品でしかなくても
お前がくれなかったものを手に入れて見せる。

たとえ、死んだとしても。

4/15/2024, 5:34:13 AM