【麦わら帽子】
パ、と視界が僅かに暗くなった。
先程まで見えていた世界の上半分が隠されたことに不安になって隣を見ると、そこには変わらず背ェ高な知り合いのベルトがある。その事に呑気に安心感を覚えて少し笑えば聞こえていたらしく、被せられた麦わら帽子の上から頭をガサガサ撫でられた。
「あはは、ごめん、ごめんって。ありがとう、お陰で倒れちゃうところだった。」
ジーワジーワ、季節は夏だ。遮蔽物の無い田んぼのど真ん中、水も持たず帽子も被らずで歩いていればそりゃあ幻覚だって見えるだろう。
ジーワジーワ、ジリジリジリ。このクソ暑い中、彼らは元気なことだ。
「幻覚だもんね。大丈夫。気のせいだって分かってるよ。」
麦わら帽子を目深に被り直す。転ばぬよう足元は見えるように、揺らぐ炎のような蜃気楼と、遠くの山々が見えないように。
ジーワジーワ、ジィワ、ギィヴァ、ギュウィゥ、ヴァア。腐れた喉でうるさいくらいにないている彼らのことが、目に入らないように。
「うん。帰るよ、ちゃんと。おばあちゃんとスイカ食べるもんね。」
カサ、と撫でる掌は肯定を示していた。僅かに見える白シャツ、黒いスラックスに黒いベルト、大きな焦げ茶の革靴がその向きを反転させる。それに習って自分も来た道に向き直って、はて、と首を傾げた。
「私、どうやってここに来たんだっけ?」
もはや聞き取れなくなった呻き声がうるさい。焚き火の前のように視界が揺れる。夏の風に混じってバラバラと音がする。ひゅう、どかん。うるさい。暑い。熱い。
忘れな、とでも言うように後頭部を軽く二回叩かれて、はっと我に帰る。そうだ、どうせ何もできないのだ。彼らも、私たちも。過去の傷を癒せるものは時間以外にもありはしない。動き出した長いコンパスに置いていかれぬよう、せっせこ足を動かすのに専念することにした。
8/11/2024, 10:35:41 AM