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「ひとつだけ願いが叶うなら、どうする?」
唐突に言いだしたのは、君だった。
その日は朝から雨が降りそうで、降水確率は80パーセント。道行く人は、皆傘を持っていた。私だって例外ではない。いつかコンビニで買った無個性で汎用なビニール傘は、持ち手をデコった私仕様。柄のついたテープは、私の精一杯の個性だった。
「どうって、うーん」
願いなんてたくさんあるようで、こういう時にはなかなか思い浮かばない。「億万長者になりたい……とか?」悩んだ末に苦し紛れに答えた私を見て、君は呆れたような顔をして笑っていた。
「そんなに笑うなら、君は何を叶えてもらうのさ」
君は少しだけ目を細めて、おどけたように言う。
「自分なら、どうか傘を恵んでくださいってお願いするよ」
降水確率80パーセントなのに。傘を持っていない君のお願いに、思わず笑いが盛れた。ひとつだけのお願いは、傘には少し荷が重いと思わない?
「今の自分に一番必要なものは、傘だと思うんだよね」
ふざけているように見えたけれど、君は真剣なようだった。空はますます暗くなり、今にも降り出しそうだ。確かに君には、傘が必要かもしれない。私は肩をすくめて、すいとビニール傘を持ち上げた。
「はい、では君の願いは叶いました」
ぽつりぽつりと、雨が降ってきた。ばさりと開いたビニール傘を、君に傾けて一緒に収まった。透明なビニール傘から、空を見上げる。傘を叩く水の雫。小さな川になって落ちていく。
傘の持ち手に貼り付いた、私の精一杯の個性。気がついた君が笑う。
ひとつだけ願いが叶うなら。こんな日々がずっと続きますように。

4/3/2024, 8:14:01 PM