霧の雨が落ちてくる。けぶるような霧雨は春の終わりの薄い灰色の雲間からまるで霧吹きで噴かれたように都会のビル郡を水墨画のようにけぶらせていた。
やれ、これはなかなかいい雨だ。
と彼は満足げに安物のビニル傘を傾けて微笑んだ。
残尿感の残るような思いきりの悪い雨ではなく、まさに、これが霧雨なのだといっそ堂々とした雨ではないか。
傘などあまり意味がないほど小さな分子のような、湿気た水分を含んだ霧染みた雨などなかなかに理想的だ。
アメリカに降るという殺人的な大豪雨なども気持ちがよかろうが、夏の夕立もまた気持ちがいい。
いけないのは秋の長雨だ。
べとべとと冬か秋か分からぬ氷雨を薄曇りのなか降らせて、あれはどうにも季節感がないのではないか。
そんなことをいってしたり顔で後輩を見ると、仕立ての良い上等のスーツを濡らさぬよう黒い蝙蝠傘の中で縮こまっていた、五つは年下の後輩がにや、と面白そうに返答した。
先輩、そりゃあ秋の長雨は気が滅入りますけど。
そうだろう?
でも、ありゃあ春の雨と同じですよ。
春のかい?
ええ。花曇りの雨じゃあありませんか。ほら、桜が散ります。
ほう、とすると、君はそんな雨が好きかい。
ええ、ええ、僕はどんな雨でも好きですよ。雨っていうのは理想的な天気じゃあありませんか。かんかん照るより、煮え切らない曇りより、ずうっと気持ちが良い。
彼は後輩が嫌に楽しそうにいうものだから、そうだろうそうだろうと、したり顔で頷いた。
後に彼らの上司にそんなことを話すと、営業回りで君らがたまに濡れてかえるのはそういうことだったのかい、馬鹿だなあ。とあきれられた。
僕はやはり、どんな雨でも好きなのかもしれないよ、君。と言う。
後輩は、したり顔でそうでしょうねえ。と頷いて見せた。
理想的な雨とは言いますが、雨はやっぱり気持ちが良いですよ。なんたって僕らは水みたいなものなんですから。
自分は自分が好きなもんじゃあないですか。
と言って蝙蝠傘の中で縮こまった。
4/17/2023, 7:47:13 PM