奇跡をもう一度
そんな貼り紙を見たのは、電車で寝過ごしてしまい慌てて降りた山奥の駅だった。
ホームに人の気配はなく、足元を少しひんやりした風が通り過ぎてゆく。
辺りは紅葉の帳で覆われていて、まるで世界に自分1人だと錯覚しそうになる。
その中で不意に目を引いたのがこの貼り紙だった。
貼り紙には大きく奇跡をもう一度、というフレーズが踊っている。それ以外には何も書いておらず、どこか不思議な雰囲気を醸し出していた。
奇跡
奇跡と聞いて特に心当たりがあるものはなく、ここに立ち止まっているのも暇なので改札を出ることにした。
ところが改札らしき場所には、柵こそあれど切符を入れる場所もカードを翳す場所もなかった。
少し罪悪感を覚えつつも、柵を押して外へ出た。
そこには澄み渡った青空と、ひとつの人影が見えた。
人影はこちらに気がついたのか大きく手を振ってくる。
無意識のうちに身体が前に進む。
何も考えられなくて、気がつけば目の前には満面の笑みを浮かべた弟がいた。
弟に誘われて、虫取りもしたし鬼ごっこもした。
次第に楽しくなっていく気持ちと裏腹に、空は茜色を帯びてきた。
「ねね、帰る?」
ここで初めて弟は、私に問いかけてきた。
茜色に侵食されていく空を見ながら、そうだなぁ…と呟く。
「暗くなってきたし、帰ろっか。」
横で座っている弟に手を差し出した。しかし、いつまでも握り返されない手。
不思議に思って、弟の方を向いた。
「ねね、奇跡はね、一度しか起こらないんだよ。」
だからここでばいばいなんだ、またね。
ざあっと視界を紅葉が遮って。
気づけば私は、あの駅のホームにいた。
手には奇跡をもう一度と書かれた紙が収まっていた。
その文字の下には、たどたどしいお世辞にも綺麗とは言えないひらがなで、____と書かれていた。
奇跡とは、常識では考えられないような不思議な出来事を指すらしい。
きっと神様の気まぐれなのだろう。
でもその一度きりの奇跡が、出来事が、気まぐれが、何より尊いものだったのだと思う。
10/3/2024, 4:40:47 AM