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出勤のため玄関を出ようとすると、男の声が追いかけてきた。「大事な話がある。今晩いつもの喫茶店で待ってる。何時になってもいいから。」
この男と暮らして5年近くたつけど、こういう約束の仕方は初めてだ。
「う、うん。」私は足早に駅に急いだ。
別れ話かな。5年だもの。潮時なのかも。
男の恩師が亡くなって2ヶ月、いろいろ考えたのだろう。様子もおかしかったし。そう思うと満員電車の中なのに不覚にも涙があふれた。あぁ、私はこの男を愛していた。

かろうじて仕事をこなし、夜の喫茶店に着くと、いつもの席で男が待っていた。
「ごめん。どれくらい待った?」まで言いかけて驚いた。私といるときには堅苦しいからと着ないスーツ姿だった。「どうしたの?その格好。」私は男の向かいの席に着くなり聞いた。
「先生の墓参りに行って、決意表明してきた。」
「何の?」私がきくと男はスーツの内ポケットから一通の封筒をとり出し、私の前にさし出した。
私に中を見ろと言うように。

封筒の中の薄い紙をとり出し広げると、男のサインの入った婚姻届だった。
テーブルに私のための水を置こうとしていた店員の動きが止まった。
男が水の入ったグラスを受け取り、店員に「彼女にもコーヒーを」とオーダーする間も私は混乱していた。店員の「は、はい。」と言う返事に、私は我に返ると、「何で?別れたいんじゃ?」と口走った。

「何でそうなるんだ?そんなこと一回も言ったことねぇし。先生にあわせた時にも一緒になるつもりだっていったろ?」「あれは先生を安心させるための…」
「先生が死んでさ、突然大切な人を失う怖さを感じた。お前を失うことを考えるともっと怖かった。だから。」一呼吸おくと、男は改まって言った。
「居心地が良すぎて俺の甘えで、今までずっと済まなかった。俺と一緒になって欲しい。これからもずっと俺のそばにいてくれ」
そう言ってテーブルに指輪を置いた。

「コ、コーヒーはまだかしら。」
い、今のプロポーズ?何がおきたのか、私には理解が追いつかない。
「話、そらすなよ。目もそらすな。俺の目見て。」

今さら?5年よ?期待して諦めて今日は別れを覚悟したのに。急に涙がこぼれた。

私は左手をテーブルの上にさし出すと、「指輪を…お願い。」と告げた。
男は私の薬指に指輪をはめると「ぴったりで良かった。亅と安堵した。

やっとテーブルにコーヒーがきた。
今日はオーダーしてないはずのショートケーキも。私がここにくるといつもたのむケーキだ。なぜか苺が2つのっている。
店員を見上げると「オーナーからの気持ちです。」とカウンターの方を見ながら言った。
カウンターの奥でマダムがこちらを見て、微笑んでいた。
マダムの顔も男の顔も、あふれる涙で私には見えなくなっていた。



お題「これまでずっと」

7/13/2024, 12:01:20 AM