霧が深く立ちこめる森の中で、私はじっと立ち尽くしていた。冷たい風が頬をかすめ、まるでこの場に留まるなと言っているように感じたけれど、私は動けなかった。
目の前にいる彼の背中が、次第に遠ざかっていくのをただ見つめているしかできなかった。
「本当に行くんだね」
心の中でつぶやく。声に出す勇気はなかった。
彼は振り返らない。いつもそうだ。何かを決めるとき、背中で全てを語る。それでも私はこのまま見送るしかないのだろうか?
頭ではわかっていた。彼には、彼しか果たせない使命があると。けれど、それでも私の心は拒んでいた。
「一緒に行くって言いたかったのに…」
そう思うたびに、胸の奥が締め付けられる。
彼がこの森の奥へ進む理由はわかっている。私にとっても、それは避けられない運命のように感じていた。でも、だからってどうしてこんなにも辛いのだろう。
私は彼の背中にこれまでの冒険の日々を重ねていた。笑った日も、傷ついた日も、すべてが今この瞬間に凝縮されているように思えた。
足を止めることも振り返ることもなく、静かに言った。
「俺は必ず戻る。待っててくれ」
その言葉が胸に深く響いた。
振り返らない彼の声が、まるで遠い未来からの約束のように感じられた。私はその言葉を信じるしかない。これが彼の決意なら、私もまたそれを受け入れる覚悟が必要だった。
霧の中、彼の姿は次第に見えなくなっていく。私はそこに立ち尽くし、ただ彼が消えていくのを見守るしかなかった。
涙は出なかった。代わりに、手の中に残された彼のペンダントが私に小さな力を与えてくれている気がした。
「必ず戻るって、あなたが言ったんだから…」
小さくつぶやき、その場にしゃがみこんだ。
森の静けさが、まるで全てを包み込むように広がっていた。彼が戻ってくるその日まで、信じて私は私の道を歩み続ける。
彼がいない間も、彼の思い出と共に、強く生きていく。
それが、今の私にできる唯一のことだから。
【行かないで】
ファンタジー小説風味
10/24/2024, 10:53:30 AM