「一緒に逃げようよ」
それは甘美な響きを帯びて私の耳に届いた。つい先程辛く、厳しい人生を歩むのが決定した私にとって悪魔の囁きだった。
「逃げるって、どこに?」
逃げ道などあるわけがない。決められたレールの通りに、家の為に。それが私の人生であるのに今更それを覆すことなどできるはずがない。私は諦めている。私の人生の全てを。だというのに、
「どこか遠く、できるだけ遠いところ」
「君の好きな所へ行こう」
なんて素敵な誘いだろう。私の人生にも、まだ希望があるのだと思わせてくれる強い声だった。己の根幹がぐらぐらと揺らいだのが分かって、思わず泣きそうになる。
「ねぇ、どう?一緒に行こうよ」
差し伸べられた手のひらは華奢で、少しばかり震えていた。しかし、私の心はもう決まっていた。
今まで積み上げてきたもの、これからの何もかもを投げ捨ててこの手を取りたいと思った。あたたかく柔らかな手のひらに私のそれを重ねた。
この先、どんな結末が待っていようと私がこの選択を後悔することは無いだろう。
一歩踏み出す。
隣を歩く彼女が優しく笑った。
2/28/2024, 11:46:07 AM