ハル

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お題「また明日」
「また明日遊ぼ!!またね!」
、、、
「う、うん!」

明日は明日の自分に任せよう!だとか、
明日なにかヘマをしてもそれは明日の自分のせいで、今日の俺は悪くないもん!とか
己は己だよ。

だって、きっと、全て、昨日のとか、明日のとか、関係ないよ。
だって、じゃあ昨日の俺が死ななかったから、死ねなかったから、俺は今後悔してる。苦しんでる。
ほら、今日の自分のせいでは無い。けど、経ってしまったものは仕方がないのだから、結局全て今の人生に跡付けされる。

この、苦しみだって、昨日の、いつかの誰かが残した傷で、こうして致命傷になったって止まらない。
血が、涙が、嗚咽が、吐き気が、止まらない。
それは、時のせいなのか?
昔の、俺のせいなのか?
生きてしまった俺が、己がいけないのだろう。
悔やんだって、仕方がないのだ。
また明日に縋り付いて、「ごめんなさい」って

また明日、また明日って、そうして、いつか心も体も時に着いて行けなくなって、冷たい空に閉じこもるんだ。永遠に。

悩みなんて、時が解決してくれる。と言うけれど、
今解決出来なければ、また何も出来なかったと自分のせいにするんだろう。
実際に時が経過すると解決する考えだってあるだろうな。自分の意見を持たなくなるんだ。言わなくなるんだ。
諦めることも大人になる1歩だという。
大人の考えに至るだとか、空気を読めるようになるのも成長だとか言うけれど、大人になったところでそこまでいいものになれるのだろうか?
無理だよ。不幸でもいいだの言ってるようなものじゃないか。

また明日なんて、曖昧なものには任せられない。
いつか、なんて、諦めという2文字で締めくくる大人への1歩じゃないか。


話キモイかもしれないですすみません

5/22/2024, 3:02:35 PM