『突然の別れ』
もう随分と昔の話。
ウチの高校は修学旅行がスキーだったんですよ。
運動音痴グループに属していた私は、友人達とブータレながらスキーウエアの測定会に参加しておりました。
事前にスキーウエアとスキー靴の試着して、サイズを申し込んでおくってシステムだったんですよね。
普通の修学旅行にしてくれよ〜。
イジメかよ〜。
なんて感じ。
それでも、なんだかんだとテンションは上がっていたんですけどね。
そういえば、私達前後の年代って、関西勢が当たり前に行ってる、広島長崎とか沖縄とか、反対にディズニーランドとか東京とか、そういうノーマルな所に連れて行ってもらってない。
まあ、そんなボヤキは置いといて。
そうそう。
その前に、父方の祖父が亡くなっていて、父はまだ実家から帰っていなかったんですね。
私と母が先に帰ってきてて。
さて、ここからはあまり気持ち良くない話かもなので、楽しくない話がお嫌いな方はパスしてくださいませ。
「ただいま〜」
と開けた玄関の上がりかまちから廊下に、何枚かの紙。
母の字で。
遺書でした。
全部読まなくてもわかりましたし、第一悠長に読んでる間も有りませんでした。
ホント、突然の別れって、本当に突然なんですよね。
もう、とっくに母の亡くなった歳は超えてしまったので、今更何の感慨も無く悲しみも蘇らず、とても平らかな落ち着いた気持ちでしか思い出さないので、こんな機会だし書いてしまいましたけど、不快に思われた方がいらっしゃったら申し訳ありません。
私はひとりっ子なので、父に連絡したり、健在だった母方の祖父母に連絡したりして。
誰が一番に駆けつけてくれたんだっけ?
もう、昔過ぎて思い出せないですね。
多分、父は東京からだったので、母方の祖父母かなぁ?
母方の祖父は、とてもとても厳しい人でした。
子供心に、(おじいちゃんて、おばあちゃんにもママにも偉そうやなぁ)と思うぐらいには。
口数も少なく、笑顔もあまり見たことが無かった記憶です。
その祖父が、母の亡骸に縋って「何で親より早く…」って泣いていて。
ああ、思い出しました。
まだ父は東京の実家から帰っていなくて、私はまだ泣いていなかったんだと思います。
だから余計に、祖父の悲しみが、母の死を現実的に感じられたのと、それでも(おじいちゃんでも泣くねんなぁ)なんていう何処かフワフワした感じとがありました。
キャッキャッ言いながらスキーウエアのサイズ決めてたのを適当に切り上げて帰ってきたら、なんてことも考えていましたけど、多分、そんなことは考えても仕方のないことなんですよね。
そして、今書いていて思うのは、その頃の父のストレスは半端無かっただろうなぁ、と。
自分の父親が亡くなって、葬儀の後始末してたら、娘から連絡が入って、なんて。
ちょうど今読んでいるホラー推理小説(←)に、自殺は自分の命なんだからどうしようと勝手という問いに『人の存在というものは、あらゆるところで繋がりをもっておるんです。そう考えたことはありますか? 誰かが死ねば必ず誰かに影響がある。本人がどう思おうとね、影響はあるんですよ。それを、自分勝手に自分を殺しちゃいかんですよ。他人を殺すことと、同じことじゃあないですか?』という記載がありました。
続きを書きますね。
「でも、どうしても、どうしても、辛くて生きていけないときは?」
「そりゃ、あなた」
原島は、静かに湯飲みを机に戻した。
「助けて下さいって頼むことです。人は元々弱いんですから、弱くったっていいんです。だから誰かに頼むこと。声を上げて、助けてもらおうとすることですよ。どうしても、どうしても辛い時には、必ずそれをわかってくれる相手が出てくるもんです。人は人を見てますよ。黙っていて、何も言わなくたって、ちゃーんと見ているもんなんです。なのに、助かろうという努力を怠って安易に自分を殺すのは、やはり間違っておると思いますよ」
同意出来ることも出来ないこともあるかもしれないですけど、それでもやっぱり人は誰かと必ず繋がっています。
ここを見てる方の中にも、色々とある方もいらっしゃるかもです。
でも、貴方の周りにも貴方のことを、ちゃーんと見てる人が居ると思います。
置いていかれた身としては、そんな事も言ってみたくなりました。
長々とすみませんでした。
全ての方の明日がハッピーで有りますように!
5/19/2023, 12:36:32 PM