水無月の始めの頃、私はしとしとと滴る雨露の雫を差している雨傘で受け、色取り取りの紫陽花の咲く道を伝い、行き付けの茶屋へ向かっていた。
その茶屋はかなり昔から在ったらしくどこか趣のある奥ゆかしい茶屋だ。
幼い頃だったか、私は父に連れられ此処に初めて訪れた時、水饅頭を食べさせてもらった。初めて食べたその時の味は今でも忘れられない程記憶に鮮明に焼き付いている。
瑞々しくも控えめな甘さの餡と程よい滑らかさの葛粉の生地に包まれた水饅頭。
そして一緒に出されたお茶のほろ苦さが私の好みであった。
私はそれを目当てに毎年この時期になるとどんなに忙しくとも此処へ寄る事にしている。
それは、普段の喧騒を道伝いに咲かせている紫陽花の花々が忘れさせてくれるからだ。
「昔は良かった。父や母、兄妹達といつも一緒に来て此処で一服し、皆でゆっくりとした時を過ごせていたからかな。」
そう思えば今は独り身で身軽にはなったものの、何処か寂しくも感じる時がある。
紫陽花の花は何も語りはしない。
しかし其の花々は昔からの記憶を思い出させてくれる。何処か懐かしくも優しかったあの頃の記憶を。
「紫陽花咲く道の追憶」
6/13/2024, 12:04:27 PM