月園キサ

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#人魚の歌姫 (NL)

Side:Rosa Cayford



湖に住む不思議な人魚のセスと出会ってから、約2年と半年の月日が流れた。

ほぼ毎日彼に会いに行っているというのに、未だに私は彼の声を聞けたためしがない。


「…彼の声はこれからもずっと聞けないのかしら…」


というのも、セスはとても恥ずかしがり屋な性格なようで、私が直接「声を聞かせてほしい」とお願いすると湖の底へ隠れてしまう。

もしかして私…そんなに彼に信用されていない…?


「あら?物憂げな顔をしているわね、ローザ」

「…お母様…」

「ふふ…言わなくても分かるわ、彼のことを考えているんでしょう?」

「…ええ、実は…彼のことで少し悩んでいるの」

「何だ何だ、ローザ。恋の悩みか?」

「もうっ、あなたったら…。乙女の秘密をそう簡単に覗き見しようとしてはダメよ?」

「ん?何故私はダメなんだ?」

「お、お父様、お母様…そんなに大した悩みじゃないの、ただ…私…」


お父様とお母様がクスクス笑いながら興味津々で私の悩みを聞き出そうとしてきたので、私は慌てて2人を止めようとした。


…その時、私の悩みを一気に吹き飛ばす出来事が起きた。


「…!」

「あらまぁ、なんて美しい歌声なの…」

「…ふふ。噂の彼のお出ましじゃないか?ローザ」


それはこの夜の静寂の中を吹き抜ける風のような、湖面に立つ小さな波のような、不思議な歌声だった。

私はその歌声に誘われるようにして歩きだして、裏庭から湖に面している広いウッドデッキへ出た。


「…!!」


ウッドデッキから周りを見回すと、湖の真ん中に浮かぶ小さな島に腰掛けているセスの姿が見えた。

やっと…やっと彼の声を聞けた。
もう二度と聞くことができないと思っていた、純情無垢な彼の美しい歌声を。

残念ながら彼が歌っている歌の意味は分からないけれど、人間に言語があるのと同じように人魚にも人魚にしか通じない言語が存在するのかもしれない。


「…あの歌にはどんな意味があるのかしら…?」


ところがセスの秘密のリサイタルは、そう長くは続かなかった。

彼の歌声を夢中になって聴いているうちに私は何故かふわふわとした感覚に包まれ、まるで強い磁石で彼に引き寄せられているかのようにウッドデッキの柵を越え…。

気づいたときには、私はネグリジェ姿のまま湖に落下していた。


「…え?今、何が起こったの…?」


私はウッドデッキを支えている太い支柱に掴まって、暫くの間呆然とした。

そしてそんな私に気づいたセスが「何してるの?」とでも言いたげな顔をしながらゆっくりと泳いで近づいてきた。


「セス…あなたの歌を聴いていたら、いつの間にかウッドデッキから落ちていたの…何故かしら?」

「…!」


…あっ。
セスの顔が少しだけ、ほんの少しだけ赤くなった気がする。

「…っ!……〜っ!!」

「わぁっ!せ、セス落ち着いて…!そんなに暴れたら私が溺れちゃうわ…!!」


声にならない悲鳴のような声をあげながらパニック状態になったセスを、私は必死に落ち着かせようとした。
しかし暴れた彼が勢いよく湖の底へ潜ったことで、私も強い力で水底へ引きずり込まれた。


「んむ…!ん〜〜…っ!!」


水面を照らす月光がだんだん遠ざかる。
呼吸が少しずつ苦しくなり、全身から力が抜けていくのを感じる。


「…っ!…!」

「…ん…?」


意識の糸がそろそろ切れそうだと思った時、力なく沈んでいく私の体をセスが抱き留めたのはかろうじて理解できた。

それから彼はものすごいスピードで私を水面まで運んでくれて、私は激しく咳き込みながら飲んでしまった水を吐き出した。


「けほっ!けほっ、けほっ…あ、ありがとう…セス…」

「…」


セスは首を横に振って、まだ力の入らない私の体を静かに抱きしめた。

ぼんやりと彼の顔を見上げると、彼の呼吸はかなり浅くなっていて、心配そうな表情をしていた。


「ごめんなさい…私、あなたの歌を…盗み聞きしたかったわけじゃなくて…」

「…」

「でも、そのせいであなたはパニックになっちゃったんだよね…?本当にごめんなさい…」

「…ちがう」

「…え…?」


…セス…今、喋った…?


私が驚いて目を見開くと、セスは落ち着いた声で途切れ途切れに話し始めた。


「…あの歌は、ローザ…きみに向けて、歌ってた。今なら、歌える…気がして」

「…私に…?」

「でも…きみに、ほんとに聞かれてるとは、思わなくて…ぼく、また…恥ずかしくなって…」

「…!」


いつもはウッドデッキの上から会話しているセスとこんなに近くで、しかも一緒に泳ぎながら話せる日がくるなんて。

ネグリジェはビショビショになってしまったけど、まだ…彼と一緒にこうしていたいな。


「…ローザ…?」

「ねぇ…セス、さっきあなたが歌っていた歌がどんな意味の歌なのか、教えてくれない?」

「…」

「セス…?」


何となくセスにさっきの歌を聞いてみたら、彼はまた顔を赤らめて私から視線をそらした。
私に向けて歌っていた歌で、さらにこの反応…まさか…ラブソング…?


恥ずかしがり屋で純情無垢な彼が私にあんなにしっとりとラブソングを歌っていたのだと考えただけで、ぼんっ、と私の顔も一気に熱くなった。




【お題:無垢】


◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・ローザ・ケイフォード (Rosa Cayford) 20歳 大富豪の末娘
・セス (Seth) 湖に住む謎の人魚

5/31/2024, 1:38:18 PM