あーさん

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『上手くいかなくたっていい』

筆を走らせる。この感覚が、この思いが、あの光景がまだ鮮明である内に残さなければ。

高校三年生の夏、私はまだ進路に悩んでいた。他のクラスメイトが未来を見据えている中私は何をしているのだろう。
好きな事はあった、ただ才能が無くその道に行くことは無いだろう。
それ以外に興味がある事なんてない、私は自分の未来が想像できなかった。
夏休みに入り焦らなくてはいけないのだがどこか他人事のように放棄していた。
何もかもが面倒臭い、何もやりたくないし、したいこともできることも無い。
ただ布団の中で睡眠に縋り付くだけの一日だ。

「…しにたいな」

別に未来に希望が持てなくなったとか、気が病んだわけじゃない。
ただ、逃げたかった。

私は人目を盗んでプールに向かった、プールには水が張っていて月が浮かんでいた。
風が無く水面はほとんど揺れていなかった。そんな水面に移る月があまりに綺麗で私は手を伸ばしていた。

突然、身体が浮いた。正確には足を滑らせたのだろう。
伸ばした手は水面の月をかき消し、吸い込まれるように歪んだ月に沈んでいった。

耳鳴りのような音で目を覚ました。
一瞬夢を見ていたのだろうか。

いつもの時間いつもの自室の天井を見つめて微睡む中私は高校二年生の頃を思い出す。

きらきら眩しい感覚を自分が見た世界を誰かに見て欲しい。
私は絵を描いたり文を書くのが好きだった。それは人に勧められたとかではない、自分が見た世界を自分の言葉で、絵で人に伝えるのが好きだった。だけどそれは好きで止まっていてそれを得意にすることは出来なかったらしい。その事に気付かされたのは高二のときだ。
入学当時は周りの人間がガラリと変わり目新しいもので溢れた。
全てが新鮮できらきらと私の目には映っていた。この感覚を私は文字に起こして短編小説の大会に出してみた。参加賞のみだったが審査員から感想の手紙が届いた、厳しい意見もあったが次も頑張ろうと思えた。沢山小説を読んで書いた。
絵の大会もあり私はそれにも参加した。結果は参加賞だった。他の人の絵を見て描き方を取り入れようとした。次も頑張ろうと思えた。沢山絵を描いて練習した。
高校一年生の大会出場数は絵と作文あわせて六回出た。一つだけ絵の大会で準優勝をとった。とても誇らしかった。自信も持てたし頑張ろうと思えた。

高校二年生ある程度慣れ始めグループが確定し始めた時期。
私は仲のいい子が数人できた。毎日遊ぶのが楽しくてこの気持ちを絵に表して大会に出した。今年も参加賞のみで周りの作品が輝いて見えた。私が描きたいのはあの輝きだと魅せられた。沢山絵を描いてその度に作品が濁っていった。
小説の大会にも出た。結果は参加賞だった、手応えもなかった。焦りが出ていたせいか文が破綻している気がした。不出来なままだしてしまったと後悔した。他の作品が恨めしく思えた。沢山文を描きその度に作品がつまらなくなっていった。
高校二年生の大会出場数は絵と作文あわせて四回出た。すべて参加賞のみだった。その頃から自分の作品がよく見えなくなっていた。

高二から焦ってはいたのだろう。
でも自分には術がなかった、どうしようも出来なかった。いつから自分の感性は腐り始めたのだろう。あのきらきらと輝いていた感覚はもう再現できないのだろうか。その頃から私は筆を持つことを辞めた。

そして高三の夏だ。
好きな事は続かず進路も決まらない、自暴自棄になっていた私はプールに飛び込んだ。

「そのあとどうしたんだっけ?」

またあの時のような耳鳴りのような音が響く。

『私、貴方の作品好きだなぁ。だって凄く楽しそうなのが伝わってくるもの』

「…誰が言ってたんだっけ?」

ぼんやりとしか思い出せない、実際の記憶かすらも分からない。ただ、あの子だけは私の作品を好きと言ってくれた。あの子は私をずっと励ましてくれていた。ずっと一緒にいてくれた。

そう、死ぬ時だって一緒に-------

「しぬ、とき?」

自分は酷い思い違いをしていた、あれはプールなんかじゃない。
私は未来が見えなくて不安で不安で死にたいとあの子にこぼした。
あの子は人目を盗んで私を立ち入り禁止の湖へ連れ出した。
そこはあの子のお気に入りの場所なんだという。

『私もね、死のうと思ってたんだ。…丁度いいかもね』

あの子はそう言いながらフラフラと湖に近づいて行く。
私は怖くなってあの子の手を取った。
あの子の目には涙がいっぱい溜められており、瞳に月が映ってとても綺麗だった。

あの時の感覚が戻った気がした。きらきらしたあの感覚が。

でもその時には私達は湖に落ちてしまっていた。

気がつくと病院のベッドの上だった。私だけ助かったのだと後に聞かされた。
なぜこんな大切なことを忘れていたのだろう。
私は飛び起きて紙に書き殴った。

筆を走らせる。この感覚が、この思いが、あの光景がまだ鮮明である内に残さなければ。

あの日見た月を思い出しながら

『上手くいかなくたっていいからさ、好きな事してみなよ』

あの子の言葉を思い出しながら

8/9/2022, 4:20:35 PM