クレハ

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振り抜かれた拳を横目で見る。
痛いだろうなあ。
ぼんやりとそんなことを思いながら、ゆっくりと瞬きした。

「おまえは、自分が何したのか分かってんのか」

口の中に広がる血の味が耐えられなくて地面に血ごと唾を吐いた。
顔を上げれば、怒っている先輩の姿。
殴られた頬を手を当てながら目をそらす。

「なあ。なんで」
「これ以上はダメなんです」
「……は?」
「このままいたら、オレはオレじゃなくなっちゃう」

―君の旋律は悲鳴のようだね。
冷たい孤独から吐き出されるそれらが、称賛の種だった。独りぼっちで寂しがりやな泣き声が、人の心を揺り動かすらしい。評論家の言葉はわからないけれど、その唯一無二を失った先を上手く想像出来なかった。から。

「だから出ていったのか」
「……」

だって。
あの人は暖かすぎる。
人付き合いが苦手なオレの失礼な言動もある程度笑って流して。
健康的な衣食住を整えて。
締めるところはきっちり締めて。
あの人が隣に立っている日常に慣らされて、どうにかなってしまいそうだ。

ずっと一人だった。
ずっと独りだった。

あの日。今日のご飯はなんですか?と、一泊二日で旅行に行くと聞いていたのに、誰もいないリビングに話しかけた瞬間。
あの人がオレの中に深く根付いていることに気がついた。
気がついたらもうどうしようも無くて。
早く逃げなきゃって。

本当は。
あなたの傍で平穏を享受したかったのに。

本当は。
あなたにもたれかかって眠りたかったのに。

本当は。
あなたを泣かせたくなんてなかったのに。

本当は。
オレの中に生まれた気持ちごと、あなたを大事にしたいのに。

臆病者なオレには、それができなくて。

お題「大事にしたい」

9/20/2023, 7:00:52 PM