NoName

Open App

鏡の中の自分

 今日もため息を付いてコンビニ帰りの道を歩く。俺は料理も出来なければ嫁もいない。冷たい弁当を仕事帰りにもそもそも食べる毎日だ。
 ある朝のことだ。洗面台で顔を洗ったら髪が伸びていることに気がついた。右手で前髪をつまめば目にかかる長さになっている。鏡を見れば右手で前髪を掴んでいる俺がいた。

ん? 右手で?

よく見れば鏡の中の俺は、俺とは違うようだ。顔は俺よりほんの少しイケメン。俺は中肉中背に少し肉がついているが、奴は中肉中背より少し細い。俺が呆然としてるのに奴も気がついた!

「「なんだお前は!」」

 驚いたものの所詮は俺と俺もどきだ。すぐに打ち解けて、お互いの境遇について語り合った。

 俺たちは名前も同じで、大体の境遇も一緒らしい。ただ、鏡の向こうはこちらと常識が違うようだ。こちらの良いがあちらの悪いといった具合に価値観が異なっている。今の境遇に満足していない俺達は、世界を交換したいと考えた。

「本当にいいのか?」
「こんなチャンス滅多にない!」
 少し臆病な俺と少し勇敢なあちらの俺は、同時に鏡の向こうに飛び込んだ。

 鏡の向こうは良いとこだった。俺はイケメン扱いされて、注目を浴びている。道を歩いていた可愛い子をナンパしたら、大成功! 早速デートに繰り出すことになった。

 彼女のおすすめらしいお店に入る。見慣れない料理の名前が並んでいたが適当に頼んで、彼女とお喋りをした。食事が来た。美味しそうな香りだ。俺は箸を取ってメインらしき料理を口に運んだ。

 不味い。これは石より硬いゴムだ。臭いが良いぶん悲しい味だった。彼女が美味しそうに食べているのが信じられない。周りを見ればみんな美味しそうに食べている。

 きっとこの世界は味覚が正反対なのだ。彼女とのデートを終えて家に帰ると俺は鏡の向こうに帰ろうとした。鏡が割れただけだった。

 そのまま鏡の向こうで俺は暮らしている。可愛い嫁もできて、毎日出来立ての温かいご飯を食べている。しかし、その味は酷いもので、冷たい弁当の毎日とどちらが幸せだったか、未だに結論は出ていない。

 朝起きて顔を洗う。鏡の向こうの自分は、前と変わらずしょぼくれた顔をしていた。

11/3/2023, 11:21:54 AM