ギンジー

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話をするときは、相手の目を見て。

意識していると、案外相手の目を見て話せていないなぁと思う。
すごく仲のいい友達ですら、変な間を感じたら少し俯いて、コップに刺さったストローを回してみたり、おしぼりを触ってみたり。

話しているのは口なのに、相手の目線で感じられることは沢山ある。
キラキラした目で見つめられると、あぁ、私の話の続きをこんなにも期待してくれているんだ!と思うし、
下を向いて話をされると、緊張しているのかな、と思う。
前者は少なくともプラスの感情が伝わってくるけれど、後者は、状況によってはやはりマイナスにもなりうるのだろう。

壁みたいなものを感じてしまうし、話しかけ続けることでその壁が崩れればいいけれど、更に高くて分厚い壁を作られてしまえばもうこちらから攻め入る余地はないのである。
臆病者の私は、全力で守りの姿勢をとる城に、無理に攻撃は仕掛けられない。
返り討ちにあうからだ。こころが。

とはいえ、私も無意識下で使い分けているのかもしれない。

パーソナルスペースに踏み入られまいと必死に抵抗する視線に、気づいて欲しいときもある。
壁を崩して欲しい人には、無理して目線を合わせに行くこともある。

パーソナルスペース広すぎて基本誰もいれてあげないんだけど、いつか入れてもいいと思える人が現れたら。

もつ鍋屋さんのおばちゃんに、「あんまり早く結婚しない方がいいわよ、大変だから。姑とか。」って言われたけど多分すごく若く見られたなァ〜とほくほくの1:07


【見つめられると】

3/28/2024, 4:07:30 PM