神隠しならどれほど良かったことでしょう

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「待ってよ」弱々しい自分の声を聞いて更に虚しくなった。
「また会いましょう」笑顔で言われた言葉が守る気のない約束だと分かっていた。頭では今日が最後の日だと知っていたから、この記憶も数時間後には消えてしまうだろう。輪郭が朧気になっていくのを黙って見ていることしかできない己の無力さが情けなかった。次は上手く行くと思ったのに、明滅する最後の光が爆ぜた瞬間に辺りから音が消えた気がしたのは愛しいものが世界から消えたからだった。

自室で正装に着替えるのは何年振りだろうか?全ての業務を任せていた近侍が何の前触れも無く消えてから他本丸の知人の所に初めて行くことになった。気心知れた仲だったが普段着ではなく正装で、と指定されていた。どのような意図があるか分からない。
「ね、今日はどの簪が良いかな」振り返りながら話しかけるが誰もいなかった。そうだ、もういないんだった。最後の顔はどうだった?記憶の糸を手繰り寄せてもぐしゃぐしゃに黒塗りにされて分からなくなっていた。
何故思い出せないんだろう?朝から晩まで顔を合わせて切磋琢磨してきたのに。
「準備は出来たかな?」初期刀が手土産の袋を持ちながら迎えに来た。しゃがみこんでいる私の姿を見て一瞬だけ顔が曇った。
「大丈夫だよ、俺も手伝うから」と優しく微笑む彼を見ながら「ありがとう」短く返した。


私の知人は刀と情を交わしている。顕現初日に彼と結ばれたいと強く惹かれたという、何とも昼下がりの安いドラマみたいな始まりが滑稽だと軽蔑していたが、数年後に自分も特定のものに惹かれると思わなかった。人ではないのに何がそうさせたのか?もう朧気にすら覚えていないが、淡く美しいものだったことは何となく覚えていた

11/13/2022, 2:45:31 PM