狐さん

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『冬晴れ』


大学へ行くために始めたアルバイトだが、講義で裂かれる時間が多すぎて入れる時間は極わずかだった。前期は何とか凌げたけれども、このままでは流石にまずいと感じた後期が始まった秋口。しかし、履修登録やら、なんやらで、結局重い腰を上げた頃には風を通さないアウターが必須の気温になっていた。後期は緩く時間割を組むはずだったのに、1年生という現状がそれを許してはくれない。朝から夜まで、みっちりと入った時間割と睨めっこを続けた結果、大学付近のパン屋さんで早朝バイトを始めた。人影の無い電車に乗り、開店へ向けた準備をする。朝5時から始まるその仕事は、昼夜逆転をしつつあった私の生活リズムを整えるにはうってつけであった。「おはよう」と、店先から聞こえてくる挨拶に、私もまた同じように「おはようございます」と返す。そんな些細なやり取りが、1日の始まりを告げる合図のような気がしていた。

「今日は随分と冷えるね」

「そうですね、もう本格的に冬って感じがします」

「よかったら、コレ、使って」

カウンター越しに、はい、と手渡されたのは使い捨てカイロ。中を開くとじんわりと広がる温もりに思わず頬が緩む。ありがとうございます、と言ってそれを受け取れば「仕事大変だと思うけど頑張ってね」なんて言われてしまったものだからついつい熱が入ってしまった。

そんなパン屋でのアルバイトが終わりを迎えた後。小高い丘のような場所に構えられている大学へと、いつも冷たい風が吹く中坂道を登っている。
高校では部活で運動をしていたが今は何もしていない。通学がこんなにも苦痛に感じるのは体力の衰えのせいだろう。ため息として吐き出した空気は白く、それが余計寒さを助長させる。
憂鬱な気分で肩が重い。こうなるなら今日は休めばよかったと、心の底から後悔をした。もう後戻りの出来ない状況で、ふと、来た道を振り返る。帰る頃には暗くなっていて住宅街がポツポツと照らされているだけで面白みはないのだが、日中は違うようだ。真っ直ぐ続く道の先に見える富士山は冬の澄んだ空気のおかげでハッキリと目に映る。それはそれは、圧巻の迫力で。

「わっ、すごい」

思わず漏れ出た声に、自分自身が驚いて口を手で覆った。

「こんなに綺麗なのは冬の晴れた日だけだけどね」

私の独り言を拾って返答したのは、いつの間にか隣に並んでいた同じ大学の学生。マフラーの隙間からはぁ、と吐き出された息は白く可視化されてから消えていく。

「君、あの大学通ってるのに見たことなかったの?」

「はい」

「毎年すごいんだよ。人も車も富士山も」

1番好きな景色なんだ、と続けて口角を上げる彼につられて私まで笑ってしまった。

「私も、好きになりそうです」

この街は坂道は多いし大学も有るしバイトもしないといけないしで来ると憂鬱な気持ちになるし、好きじゃない。特に繁華街に近い訳でもなければ目立つお店がある訳でもない。住宅街が広がるつまらない街だ。でも、今日はなんだか好きだと思えた気がする。
冷えた身体がじんわりと滲むように暖かくなるのを感じたが、それはこの出会いなのか、景色なのか、はたまたカイロのせいなのか。知る由もない。

1/5/2025, 2:07:43 PM