キャンドル
断りもなく冬がやってきた。家に入ると僕は真っ先にエアコンのスイッチを押し、彼女はコートを着たままヤカンに火を入れた。
着替えをする間に湯が沸いた。部屋はまだ寒い。淹れたてのコーヒーが白い湯気を上げた。
テーブルの上には、買ってきたショートケーキが皿に盛られていた。赤いイチゴが燭台のキャンドルに照らされて、艶やかに輝いている。
「この曲、好きなんだよね」彼女が小さな声で言った。彼女が選んだ宇多田ヒカルの『Prisoner Of Love』がスピーカーから静かに流れる。宇多田の声を追いかけるように、彼女は指先でコーヒーカップの縁をなぞった。
「わかる。この曲、なんとなく囚われているような感覚がある。Prisonerだし」
囚われている?口に出した言葉に心が引っ掛かった。何に?僕は、心の底では何かに囚われている、と思っているのだろうか。
彼女を見た。静かな表情。彼女も何かに囚われているのだろうか。
次に、僕が選んだ曲、ユーミンの『埠頭を渡る風』が流れると、彼女が少し笑った。
「なんだか、少し遠くに行っちゃうような曲だね」
「そうかも。でも、風に乗っていくような自由な感じもある」
「そうかもね。ねえ、知ってる?宇多田ヒカルもユーミンも1/fゆらぎの声なんだよ」
「1/fって?」
「簡単に言うとね、癒しのリズム。波の音とか木漏れ日の揺れとかあるでしょ。自然のリズム。ちなみにこのキャンドルの炎も1/fゆらぎ」
「へえ。そうなんだ」
彼女が炎を見つめた。力があるような、そうではないような。心は映さない瞳だった。
もしかしたら、彼女も僕に、同じように思ったかもしれない。
ショートケーキの苺を先に食べるか、最後に食べるかみたいに、僕たちの答えも時々ずれる。でもそのずれが、キャンドルの光のように揺らぎながら、僕たちを繋ぎ止めているようにも思えた。
11/20/2024, 3:25:41 AM