033【時を告げる】2022.09.07
ああ、なんていまわしい。時を告げる鐘!
シンデレラはいまやすっかりみすぼらしいもとの姿にかえった自分をながめまわした。つややかな絹のドレスもなにもかも、一切合切が消失し、ただ、ガラスの靴のみが、彼女に残されていた。しかもそのガラスの靴さえも。彼女の手もとには、片方しかなかったのだ。
せめて靴だけはとりもどしておこう、と彼女は襤褸の身をかくしながらもと来た道を戻っていった。舞踏会とはあまりにもかけ離れた身なりを、中天の満月が容赦なく照らすのにひるみながら、あの大階段へと戻っていったのである。
するとどうだろう、階段の真ん中に、王子がいるではないか。なにかをもって立っている。目をこらさずとも、月光のおかげで、王子の手中のものがなにかきらきらするものであることは容易にみてとれた。まちがいない。階段の途中でつまずいたときに脱げた靴の片方だ。だだっ広い大階段のただなかに、ぽつねんとたちつくしながら、持ち主に見捨てられたほうのガラスの靴を手に取り、王子がしげしげとながめまわしているのだ。そして、王子は、ガラスの靴に、口付けした。まるでそれがいとしい女性の素足であるかのように、おもむろに、深く。
たちまちシンデレラは情熱を感じた。まるで自分の肉体に王子の接吻をうけたかのように。あなたのいとしい私はここです、と名乗りでたかったが、このぼろ着。とてもさきほどのシンデレラとは理解してもらえまい。が、ふと。彼女は気がついた。真夜中の12時の鐘の残響とともに魔法は解け、きらびやかな装いもなにもかもが失われてしまった、とおもいこんでいたが。左右のガラスの靴同様、いまだ消えておらぬものがあったことを。
それは、彼女自身であった。
実態の無かったものは消えたが、実体の有るものは消えなかった。いや、もとより消えるはずがないのだ。
王子はこれでも私と気がつくかしら?
シンデレラは、目鼻立ちには自信があった。声も透き通るような美声であると、かねてより自負していた。だから、彼女は賭けにでることにした。
シンデレラは、素足で一歩前に進み出た。もう片方の足には、ガラスの靴を履いたままで。
月明かりが、彼女のかんばせを照らした。その瞳は、青玉のようであった。
9/7/2022, 2:20:05 AM