テーマ:カーテン
あの日の夜のことは今でも鮮明に覚えている。
夜空に舞う様々な色が織りなすカーテンのようだった。
あやこは大学2年になった。順風満帆な人生を謳歌しているように他の人からは見えていただろう。
はたからみれば一般的な家庭に生まれ、家族からも愛され、にこやかに日々を過ごし、全てにおいてみたされているように見えていた。だが、あやこの心の中はいつも何とも言い難い焦燥感に支配されていた。
私は普通の人間だ。
特にオモシロミもなく、無駄に平面的で平凡。
これといった才能もなく、ただ皆の言う幸せへの切符を買わされて、ぼーっと少し焦点の合わない目で景色を聞き流しているかのような人生。だから上京するときも特に何も考えず、流されるままに身を任せていた。少しばかりの期待と、どうせ何も変わらないんだという曖昧な世界になんとなく身を委ねていた。
そんな曖昧な世界で生きていたためか、特に親しい友人などもできず、無視されたりシカトされたりすることでもなく。
飲み会に誘われたら参加するし、適度に相手と会話もするし、メイクや服を見たり、普通の女のコとして生きている。
可もなく不可もなしというか、モブキャラみたいに輪郭のはっきりしないような感じに写っていたと思う。
そんな曖昧な世界を変えるキッカケとなる出会いがあった。
「ねぇ、いつもこの席で授業出ているでしょ?先週、私、出られなくて…お願いがあるの。ノート見せてほしいの。」
そんな風に声をかけてきた、私の眼の前に立つ女のコ。
小柄で可愛く、かと言って図々しくなく謙虚で誠実な印象を持った。
「いいよ、少しわかりにくいかもしれないけど。」
そう言ってノートを開く。ペラペラと数ページめくる、まだ新品だ。
三十分くらいだろうか。秒針がチクタク、チクタクと正確に時を刻む。
「ありがとう。すごくわかりやすかった!時間とっちゃってごめんね!今度スタバ奢るね!」
ふんわりとした声と甘い桜のような香りがした。
春がさり、夏の始まりを知らせるかのように、その存在をしっかりと相手に書き留めさせて少し恋しく感じさせるように彼女は去っていった。
それから彼女とスタバに行ったり、ショッピングへ行ったりした。
彼女…、桜香(ほのか)と過ごす日々は私の単調な人生を色鮮やかなものにした。
写真のフォルダーは桜香と私でいっぱいで、とても幸せそうで。
桜香の「おまたせ…!まった?」という声と少し足速にかけるサンダルの麻とヒールのコツコツとした音がして私はスマホの電源を落とした。
真っ黒の画面に反射する私も幸せそうに、桜香だからね、仕方がないよ、なんて少し呆れた慈愛の笑みで微笑んでいる。
「全然、今来たところだよ!」
世界で一番口角をあげて笑う。可愛い彼女に似合う私でいたいのだ。
「ところで、話ってなに?」
「実は…」
彼女の口から出た言葉は私を、美しく靱やかに夜を舞う妖精たちの妖艶な世界にゆっくりと、気が付かないように誘っていったのだ。
「桜香、お久じゃ〜ん!えー、寂しかったぁ笑」
「こうちゃん!ごめんね、大学忙しくて…」
「そっか、寂しかったけど桜香に会える喜びが倍になったから許しちゃうよ!」
「あれ?、お客さん?」
「そう、私の友達!可愛いでしょ!」
「ほんとだ!ホストは初めてかな?」
「あえっと…はい…」
「もう、あやこしっかりしてよ!」
「あはは、初心でかわいいね!いいよ、いいよ。緊張するもんね笑」
ビシッと決まったスーツと香水と夜のオトナの香りにくらっとした。手を取られながら私はその日、人生で初めてホステスの扉を開いた。
「へぇ、あやちゃんってがんばりやさんなんだ?」
「いやぁ、私なんてまだまだですよ。平凡だし才能ないし。」
「私なんて、って言っちゃだめだよ!あやちゃんが他の誰よりも頑張ってるのしってるし。」
お酒を流し込んでいくたびに罪悪感と焦燥感がシュワシュワと溶けていく。心地よい、あぁ、きっと抜け出せない、働かない頭でそう考えた。こんなに赦されるのならこのまま溺れてしまってもいいかもしれない。
「桜香、今日はありがとう楽しかった!」
「良かった〜!あやこ最近なんか鬱憤溜まってそうな顔してたし!」
私を連れてきたのが私のためだと、私を心配しての行動だと知って、胸のあたりがポカポカする。
「本当にありがとう!もっと怖いかと思ってたよ笑」
「あはは!確かにはじめは怖いよね、で?いい人だったでしょ?」
「うん!かっこよかったし!、初回でおまけしてもらっちゃったけどいいのかな…」
「いいんじゃないかな、もし気になるんだったらまた一緒に行ってお金使わせてもらおうよ!」
「じゃあ、わたしJRだから。またねー!」
「うん、またね!」
一人電車に揺られまだはっきりとしない夢心地の頭で考える。
あんなに自分を無条件に肯定されて包まれる感覚を生まれてはじめて感じたのだ。
親にさえも表現されなかった愛情をお金を払うことで得ることができると知った。それは大人になろうと背延びしている女を狂わすことになる。
桜香は沼に溺れていくように夜にどっぷりと浸かっていった。ポッカリと空いてしまったような、そんな心の隙間を埋めるために金をドバドバと使い、身体を染めていった。
あやこの好きだった春の終わりを告げる、桜の香りは人工的な男を誘う甘い香りへと変化してしまった。
香水に伴いメイクも挑発的で誘惑的なものになっていった。
桜が薔薇になったかのようだ。確かにそれにも美しさは感じられるが友人のあまりの豹変っぷりに、あやこは心配せずにはいられなかった。
「ねぇ、桜香。……その、大丈夫…?」
「大丈夫だって言ってんじゃん。」
「でも」
「うざいんだよ。ほっといてよ。」
「…ごめんね。」
変わり果ててしまった桜香を背にサイズのあっていないゆるいパンプスの音を鳴らしながら歩いていく。
おしゃれのしない平凡な少女が、友人と出会い、ファンデーションと自信を肌に乗せていく。
あやこは桜香に出会って確かに変わっていったのだ。
だが逆も叱り、桜香もあやこに出会って変わってしまった。
一緒にショッピングへ行ったときの話を思いだした。
「私なんて似合わないよ」
「絶対に合うって!私の目に狂いはない!」
「でも…」
「いいから履いてみてよ!」
シャー、と更衣室のカーテンの音がなる。
「やっぱり似合うね!」
「…買ってみようかな」
家に帰宅してパンプスの写真を取った。そんなとき桜香からメッセージが届く。
また行こうねと返信して夢心地の中ベッドに寝転んだ。
そんな思い出のパンプスが私達を引き裂いていくカウントダウンを鳴らしているように感じてしまって思わず歩く音を止めた。
桜香の座っていた場所にはチャラそうな男がいた。
その時に見た媚び売るような女の顔を私はしばらく、忘れられなかった。
桜香side
あやこは可愛かった。
モデルとか、アイドルみたいな可愛さじゃなくて、素の可愛さというか、そういう、曖昧だけどたしかにある感じ。
あやこが笑うと花が咲いたみたいに周りがワントーン明るくなる。桜香って名前はこの子のためにあるんだとわかった。
おしゃれなんかしていなかったからみんな気がついていなかったけど、そこが私の独占欲をくすぐった。
私しか気付いていない秘密の花。
いつしか彼女と私を同一視していた。はじめは良かった。自身の持てなかった自分の桜香という名前に実態とイメージがついた。だけど、定着しすぎて癒着してしまった。
私はいつからか桜香として生きているのが辛くなった。
私の名前を呼ばれているのに、それは私じゃなくて。でも意識が私であるから私のはずだ、とぐるぐるととめどなく思考が回っていく。
彼女が笑うから私も同じように笑う、笑わなきゃいけない。
なるべく、主導権を握ろうと私から行動するようにした。
少しでも手綱から手を離してしまったら私を暗い沼に手放していくように感じてしまっていた。
私は、誰だ。
自分をついて回る闇に気が付かないように、蓋をしているように生きれば、必然と夜の街を浮かぶ羽目になる。
一人で眠れない、思考の海を漂う夜にお酒を流し込む。
キャッチに出会ってホストクラブにハマった。
カモにされてるのは分かっていたが、それでも人の暖かさに触れるのが久しぶりで離れられなかった。
財布の紐が固くなってくると友達も連れてこいと言われた。
相手側がまた1人になるとかそんなことをちらつかせて来れば、私には為す術なんてない。あいつもハマらせて堕ちさせればまた2人で仲良く過ごせると思った。
だからあやこを連れてきた。
あいつも私しか心を許せる人がいないから簡単に着いてきた。結果はどうだ。あいつは一人でいることを選んだ。
何故一緒に堕ちてくれないのか。結局あやこさえも私を見下しているんだろうかとまた思考が曇る。あれだけ憧れて恋焦がれたあやこの周りには今や副流煙が纏って見える。
私は。
私には、もう救いなどないのだ。
10/12/2022, 3:04:22 AM