命が燃え尽きるまで
命が燃え尽きるという表現。火葬という文化のある国柄故か、はたまた生き様が燃え尽きるように苛烈だったのかはわからない。
仮に燃え尽きるまで命を燃やすということが比喩ではなく可能だとして、その燃えたものはなんだろう。
何を燃やせば、命が燃え尽きるまでと言えるのだろうか。
生き甲斐、使命、それとも生そのもの?
私は命を『燃やせる』ほどなにかに取り組んでいるのだろうか?
否。私は今、人生の岐路にて盛大な迷子状態だ。
人のために、人の喜びのために、人の幸いのためにと捧げ続けた挙げ句体を壊した。
するとどうだろう、私は空っぽだったのだと思い知ることになったのだ。
健康を犠牲にすることでしか人様に尽くせなかったのだ。
この場合は間違いなく、私は命が燃え尽きる前に精神を燃やし尽くしたのだろう。
まだやりたいことがないわけではない。
でも休んで初めて気づいた。
自分の体を休める方法さえ知らずに、エンジンをハイスピードでかけ続けてガス欠状態というのは幼子のするようなことではないかと。
命が燃え尽きるまで一心不乱に人に尽くせる身体はもう失くした。
これからは、命が燃え尽きるまで大切に身体と精神のメンテナンスしていこうと思う。
私を大事にできるのは、私しかいないから。
9/14/2023, 10:27:18 AM