病室
冷房の効いた病室の中で、蝉の鳴き声だけが夏の訪れを知らせてくれる。窓の外を眺めていると、静かに音を立ててドアが開いた。
「斎藤」
よ、と片手を上げて齋藤は室内に入ってくる。
「元気かって聞くのものおかしいな。あ、これ、お見舞いの花と、野球部のみんなからの寄せ書き」
「おー、すげ。あざす」
「それだけっすか?」
「あざーす。感謝してマース」
受け取った紙袋の中身を覗くと、一人一人の筆跡が学校での日々を想起させた。かつては自分もこれを書く側で、送られるようになるとは思ってもいなかった。
「てかさ、スタメン様がこんなところで油売ってていいの?」
「馬鹿野郎、俺が行かなくて誰が行くってんだよ。……で、足どー?」
「あー、まあ、ぼちぼち? 今年の夏には間に合いそうもないけど」
「そ。……俺らもう3年だけどな」
「だな。あーでもそう考えるとおれでよかったのかも、ベンチだし。いやベンチはどうでもいいとかそういうことじゃなくて。」
「やめろよ」
「甲子園決まったのに、足引っ張るようなこと、ぜってえしたくなかったから」
「やめろ」
「でもおれはさ、お前じゃなくて良かったと思うよ」
足の靭帯損傷。最後の夏もベンチになって、それでも足掻いたその結果のこれだ。蝉が長い人生の最後の7日間空を見ることが叶うように、自分に才能がないとわかっていても、いつか羽化すると信じて頑張ってきたのだ。
もし、お前がおれみたいに足怪我したら、漫画とか小説の主人公みたいにカッコついたのかもしれないけどさ、おれはそうはなれないから。
「おれ甲子園の土欲しくてさ、おれの分も取ってきてくんね」
「……結構時間長引くと思うけど、それでいい?」
「おう、なるべく時間かけてくれ」
そういうと、斎藤は病室を出ていった。おれがいつもベンチから見ていた背中だった。
その夏、おれは泣き崩れる齋藤の背中を、涼しい病室の中で画面越しに見ていた。薄暗い土の中で光を見ることなく死んでいく出来損ないの蝉のように、自分の中の何かがひっそりと死んでいくのを、おれは感じていた。
8/2/2023, 5:11:06 PM