和正

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【上手くいかなくたっていい】

スマホと睨めっこしたまま、シュンは公園のベンチで長いこと座っていた。発信ボタンの上に浮かせた親指が、そろそろ攣りそうだ。

あの、謎のオシャレな男―名前はタケヨシマコトと言うらしい―に助けてもらって以来、「午前中に来た時だけ、何かカフェの雑用を一つする」代わりに、コーヒーを飲ませてもらうようになった。時々、あの日のような簡単な朝食も食べさせてもらえる。マコトは料理に興味がないので、本当に焼いたベーコンや卵だけ、といういかにも「これでいいんだよ」みたいなものしか無かったが、いつも腹をすかせているような男子高校生のシュンにとっては最高の朝食になった。ほとんど毎日顔を出しているおかげで、生活リズムが整ってしまい、最近は学校にもちゃんと通っている。

しばらく休んでたせいでちんぷんかんぷんだった授業の内容にも、だんだんついていけるようになっている。ただ、留年した、いかにも怖そうな一つ年上のシュンに、気さくに話しかける勇気ある同級生は一人もいなかった。去年までは友達もいたが、みんな無事進級して受験生になったので、遊んでる暇はない。おかげで放課後の時間が永遠に感じられるほど暇だった。元々喧嘩が好きなわけではないし、一つでも傷を付けるとマコトがあーだこーだうるさいので、極力喧嘩に巻き込まれないように気を付けていた。

それで、これだ。シュンはスマホの画面に目を落とす。バイトの求人広告。そこに電話して面接を申し込もうとしている所だ。しかしバイトの求人に応募するなんて人生で初めてだし、普段まともに人とコミュニケーションを取ってないのに、きちんと大人と会話できるだろうか。

「お兄ちゃん、カノジョとケンカしたの?」

ふいに声をかけられて顔を上げると、そこには幼稚園に上がったか上がらないかくらいの小さな男の子がいた。

「女ってさ、なんでおこってるか言わねんだよな。ぜったいだんまりするんだよ。そのくせこっちが先にあやまると、『何がだめだったかわかってんの?』ってよけいにおこるんだよな。」
一瞬、何を言われたか分からず、固まってしまった。
(え、こいつ子どもだよな?めっちゃ喋るじゃん。)
「でもさ、お兄ちゃん、上手くいかなくたっていいんだよ。上手くいかないんじゃないかって心配して何もしないとか、ぐずぐずするよりも、上手くいかなくていいから、早くこうどうした方がいいぜ。さっさと電話かけな。」
「あ、いや、カノジョとかじゃなくて…」
「ハルトー!何してんの?!」
女の人の大きい声が聞こえるや否や、その子の母親らしき女性がそばに駆け寄ってきた。少し、いやだいぶ心配そうな顔で少年の肩を抱き、シュンに警戒心丸出しの視線を向けてくる。
「ママ、お兄ちゃん、カノジョとケンカしたんだって。今から電話かけるんだよ。」
「あら、そうなの…?」
面食らったような顔をして母親はもう一度シュンの顔をまじまじと眺めると、思ったより優しそうな顔をしている事に気づき―実際はキョトンとしているだけだが―、口元を緩ませた。
「青春ね。頑張ってね。」
もはや否定する気も起きず、シュンはあいまいに頷いた。
「じゃあハルト、お兄さんの邪魔しちゃだめよ。帰りましょ。」
「じゃあな!お兄ちゃん、頑張れよ!」
二人が去っていく。まるで嵐のようだ。

「いや、だからカノジョじゃねーよ…」
結局二人に言えなかった言葉を呟き、真っ暗になったスマホの画面に目をやる。親指を指紋認証に当て、また応募先の電話番号を睨みつけた。

(上手くいかなくたっていい。)

まったく関係のない話だったけど、不思議とあのハルトと呼ばれていた少年の言葉が背中を押してくれた。

(たまにいるよな、ああいう、大人顔負けに口達者な子ども。)

ふっと笑みをこぼしながら、シュンは発信ボタンを押した。

8/9/2023, 11:45:16 AM