🐥ぴよ丸🐥は、言葉でモザイク遊びをするのが好き。

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057【きっと明日も】2022.10.01

N教授の研究室の大掃除を手伝っていたら、古びたノートの切れ端を見つけた。それには、このようなことが書いてあった。

 《あなたが生まれてしばし後に 太陽が昇った

   ||: その翌日も 太陽が昇った :||

  いま わたしとあなたは
  幾度目かの日の出の後に会話をかわしている

   ||: そして きっと明日も 太陽が昇る :||

  いずれ わたしもあなたもそれぞれが
  幾度目かの日の出の後に目を瞑るのである》

それは詩のようにも見え、暗号のようにも見えたが、
「先生……これは、どう読めばよろしいのですか?」
よほど私の表情が怪訝そうだったのであろう。教授もまた、訝しげな表情をしながら紙片を覗き込んだが、
「あぁ、これは……」
したり、とでもいうふうにひとり合点の首肯をした。
「S教授の悪戯だよ。一見暗号風に見えるこの符号は、音楽の繰り返しの記号なんだとさ」
それでも私がよく飲み込めてないのを見てとったか、教授は私から紙切れを取り上げ、こう読み上げた。
「あなたが生まれてしばし後に、太陽が昇った。その翌日も、太陽が昇った。その翌日も、太陽が昇った。その翌日も、太陽が昇った。その翌日も、太陽が昇った。その翌日も、太陽が昇った……これは、生まれてから今日までの日数分、繰り返して読まねばならぬ、とS氏は言っていたがね」
これで種明かしは十分だろう、とでもいうふうに、教授は私の手許に紙片を戻してよこした。
「では、そしてきっと明日も、太陽が昇る、という部分は、残りの寿命の日数分だけ繰り返すように、という指示になる、と?」
すると。
教授は、虚を衝かれたかのような様子を見せた。私は単なる確認をしただけのつもりだったのだが、
「……すまない……ちょっと、失礼……」
不意に窓際まで走り寄ると、もどかしくてならないとでもいう手付きで煙草を取り出し、火をつけた。
N教授はあの通り、真剣なのだか巫山戯ているのかしかと判別つかないような性格だから、いつもS教授の言行を面白可笑しく装飾して吹聴する。そのせいで、私たちもついうっかり失念してしまうのだ。S教授が……、
「実にバカなヤツだよ。Sは」
窓枠に半身を預けて紫煙をくゆらせながら、教授はつぶやいた。
「……あと何回繰り返すかは、神様が決めることなのに、自分で勝手に区切りをつけようとしやがって……」
そして、思い切りよくぐしゃぐしゃと。煙草を、手にしていた灰皿に押し付けて、火を消した。
「挙げ句の果に、神様への反逆にも失敗しやがった」
私は、返すことばを失った。見つけたのは古ぼけたただの紙切れ一枚のはずだったのに。教授の感情に嵐を呼び起こし、こんな表情をさせることになろうとは。
「今日は、もう、おしまいにしよう。私も、急用ができたしね」
突発的に心が波立ったときは、煙草を吸う、そして胸中の嵐を鎮静する。といういつものルーティンが、しかし、今回は上手く作用しなかったのだろうか、N教授は窓を閉め、錠をおろし、そそくさと身支度をしながら、その紙片を渡すよう、仕草でしめした。
「よく見つけてくれた。感謝する」
受け取ると、教授は大事そうにそれをながめ、そっと鞄に仕舞い込んだ。
「あいつの枕元でお経のかわりに唱えてくるよ。そしてきっと明日も、太陽が昇る、としつこくね」
私は促されるままに教授とともに研究室から出て、鍵を締め、教授といっしょに黙りこんだまま同じエレベーターに乗り、研究棟の前で別れた。
物語の世界では鮮やかにきまるのが相場となっている自死だが、現実の世界ではそうはいかないケースが、実は多いという。S教授が植物状態になって、もう何年たったのだろう。N教授はいまだに、未完の共同研究をS教授とともに完結させることを切望している。
あれだけの資質と熱量を兼ね備えた研究者には、一生出会えないだろう、とつぶやきながら。

10/1/2022, 2:47:40 AM