高校の演劇鑑賞で『ゴドーを待ちながら』を上演するのはうまくない。寝息だらけのホールの真ん中で祈はため息をついた。演者の修練を台無しにするこのホール全体が不条理劇そのものだ。祈が起きている限りは、この世界はリアリズムなのだろうけども。
流石にあくびは堪えきれなかった。隣の温かみはすでに夢の中に旅立ってしばらく経つ。ホームレス役の二人がやたらと渋みの効いた良い声なのだ。眠気が誘われるのも納得だ。
しかも、会話は転がらずストーリーも堂々巡りで、ずっと舞台の真ん中に留まりつづけているのだからたまらない。派手な演出もない、役者も知らないでは興味を持つとっかかりも見つからなかった。打開の「だ」の字も出てこない状況が板の上に描き出すのは「不条理劇」という70年以上前に開拓された新ジャンルという価値ただ一つだった。
そんなの黒板に書いとけばいいじゃんね、と開幕の暗闇で命がくすぐったげに耳うちしてきた。そんな蘊蓄さえ、開演前の生徒会長の堅苦しい解説を生真面目に聞いていたからこそわかるのであって、1階席を埋め尽くす聖法の1年、2年のどれほどがこの演劇の価値を感じているのか。
何の出来事も起きない。会話に何の意味もない。
だけど、無為ではない。この空間は。
祈は左肩の重みを感じながら、左手の中の温かみを緩く弄んだ。そうしている生徒が他にも絶対にいる。そんな甘い空気が仄かに漂っていた。
電子の海に浮かび、数秒の面白さで食いつなぐ世代が鑑賞に耐える演劇は実は少ないのだろう。銀幕と変わらない。どこかで集中力が切れ、舞台以外の何かに気を取られる。隣に座る恋人とかに。
ここには進まない状況と渋みのある男たちの声、命の体温と静寂しかない。人目から隠すように太ももの脇で彼の手をそっと撫ぜた。祈に預け切った温かな重みにそっと寄り添ってゴドーを待つ。
ホールが明るくなる頃には誰も何を待っていたのか忘れているのだろうけれど。
「ねぇ、いーちゃん先輩。結局、どんな話だったん?」
席で伸びをしながら命が尋ねた。
「うーん」
祈は少し考えた。
「僕たちにはまだ早すぎる話かな」
「何それ。あ、それよりさぁ、今日うち来る?」
ゴドーは神だという。
ゴドーは死だという。
どっちでもいい。僕たちにはまだ早い。
「遊びにいく。今日も、泊まっていい?」
立ち上がる前に僕たちはぎゅっと手を握り合った。
3/19/2026, 8:55:47 AM