ここではない、どこかで
雲ひとつない晴天。空を見上げたのは久々だった。照りつける日差し。柔らかな風。すこしばかりの自然の匂い。なぜだか今日は異様に世界が輝いて見える。それは自身が死に近づいたからだろうか。
フェンスに背を預ける私。あと一歩前に歩けば私は解放されるだろう。魂を肉体から手放すと同時に人生という地獄を抜け出すことができる。死は怖くない。だが、生存本能が生を望んでいる。それが死ぬという行為を恐怖として認識させる。あと一歩。それでも私は、千里ほどの心持ちでなければならない。
呼吸が浅くなる。肩が上下し、額に汗が浮かんでくる。
ガチャリ
屋上の扉が開いた。誰かが来たみたいだ。まあ、私には関係がないけれど。
「何してるの!危ないよ。し、しんじゃだめだよ」
かわいらしい小柄な女の子。目に涙をためて必死にこちらを説得している。ありきたりな戯言。当たり障りのない決まり文句。なんだか、滑稽だな。他人のために泣いて、他人のために声をだして。なんて、いい子なのだろう。絶望したことないんだろうか。自ら命を絶ちたいと思うほどの経験をしたことがないんだろうか。なんて、浅はかなんだ。
「生きてたらね、必ずいいことがあるよ。今は悲しいかもしれない。もうやだってなるかもしれない。でも、でもね。そのあとは絶対に幸せになれるよ。ここじゃなくても、どこかできっとあなたを必要として、あなたが好きって言う人が現れるよ。だから、やめようよ」
こぼれ落ちた涙は宝石みたいに綺麗だった。あの子の心もこんな風に綺麗なんだろうな。彼女の方を振り向き微笑んでみる。あの子は綻んだ顔をした。
「ありがとう」
その瞬間、私は体を後ろに倒した。何も私を支えてなどくれない。ねえ、絶望ってこんな風なんだよ。体験してくれて良かった。さよなら、世界。来世は幸せになれますように。
ここではない、どこかで。
……離してよ。ばか。お人好し。……ありがとう。
4/16/2023, 2:17:35 PM