🐥ぴよ丸🐥は、言葉でモザイク遊びをするのが好き。

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091【鏡の中の自分】2022.11.04

女子生徒って、なんで休み時間ごとにトイレの鏡の前でたむろってんだ、あげくのはてに全校集会のとき生徒指導部の先生から鏡の使用についての注意をされるとか愚かのきわみじゃん。と、美瑞穂はいつも腹をたてている。かくいう美瑞穂のほうはというと、鏡の中の自分が大嫌いである。トイレの手洗い場ではいつも、うっかり前を見て、自分の容貌が目にはいったりしないよう、細心の注意をはらいながら手を洗い、そそくさと立ち去るようにしている。その傾向は自宅でも同様で、いちおう、デザインが素敵だから、という理由で手元においている手鏡こそあるものの、自ら好んでのぞき込むことなど、まず無い。
中学校にあがって以来、美瑞穂がいちばんおそれているのは、中2の文化祭である。なぜなら、中2は全員、美術の時間に自画像を描いて展示することになっていたからである。ただでさえ、鏡の中の自分が嫌いだというのに、それをしげしげとのぞき込み、画用紙の上に模写し、あまたの保護者生徒のまえにさらさねばならぬとは。これが精神的苦痛といわずしてなんといおう。そのようなわけで、美瑞穂は中2になってから、美術のある日とその前後の日にかぎって、遅刻をしたり欠席をしたりするようになっていった。美瑞穂自身には明確にそれとは意識はされていなかったが、いつかは必ず鏡を見ながら自画像を描かねばならぬ、という予測は、鏡の中の自分が嫌い過ぎる美瑞穂にとっては、それほどにも耐え難い重圧だったのである。
ある日のことだった。それは、昼休みのことだった。
「あ。歯に海苔、ついてない?」
他愛のない会話のあいまに、クラスメートが指摘した。彼女は制服のスカートのポケットをごそごさぐると、軽いノリでピンクのスリムな手鏡をさしだした。極力鏡を見たくない美瑞穂としては、海苔がついていようがどうしようがただただほうっておいてほしかったのだが、そうもいかなかった。なぜならそれは世間一般では親切なおこない、とされているからだ。やむをえず、黙ってうけとると、鼻から上が映らぬよう用心して、美瑞穂は手鏡をのぞいた。が、失敗した。スリムな鏡だから映り込む面積もすくないはずだ、との目算が油断をまねいたのかもしれない。いくぶん、角度を誤ったようだった。顔が映った。美瑞穂はしまった、と瞬時に目を閉じ、再び開いた、のは、なにか看過しえぬものが見えていたようなきがしたからで、そのとき。美瑞穂の目に入ったのは。
自分に雰囲気がよく似た爬虫類の……
顔。
だった。
きゃぁっ、と短く叫んで、気がついたときにはすでにクラスメートの手鏡を投擲していた。どこかとおく離れたほうで、鋭くガラスの割れた音がした。
美瑞穂はわれにかえった。その場は謝ることと、割れたガラスを回収することと、顔に虫がついてるように見えてびっくりしたのだ、とウソで誤魔化すこととで必死だった。あれよというまに五時間目の予鈴が鳴った。わけもわからぬうちに、本鈴が鳴り、先生が来て、授業がはじまっていた。あれがどういう現象だったのか、美瑞穂がぼんやりとでも反芻することができるようになったのは、やっと、五時間目の半ばを過ぎたころであった。
これって、まるで万城目の「鹿男あをによし」じゃん……
美瑞穂は、非現実感しかないふわふわとしたとりとめもない思考の波間をただよいながら、愛読していた小説のことを、ふと思い出した。
しかし、だ。あの小説の主人公には、喋る鹿、という存在があった。が、美瑞穂にそんな解決のキーになる存在がいるはずもなかった。だってあれは空想の出来事なのだ、しかし、こちらは現実だ。朝起きたら自分の顔が鹿の顔になっていて鏡の前で途方に暮れた主人公の心情は泣きたいほど理解できたが、なんの救いにもなりはしなかった。突然、目の前がぼやけた。涙だった。美瑞穂はなんとか耐えようとした。だけど、解決の糸口がない、という冷たく強張った絶望感に、もう、嗚咽がこらえられそうになかった。机にむかって顔を伏せ気味にしながら静かに手をあげて、頭が痛いので保健室にいっていいですか、と許可をとるだけで、せいいっぱいだった。
なんで今日にかぎって給食に味付け海苔がついていたんだ。なんで今日にかぎって給食に味付け海苔がついていたんだ。なんで今日にかぎって給食に味付け海苔がついていたんだ。なんで、今日にかぎって……!
なんとか美瑞穂は椅子から立ち上がった。理不尽なやつあたりであることはわかっている。給食のおばちゃんたちに罪はない。だが、美瑞穂は止められなかった。もしそのリフレインを止めたら、逆に、美瑞穂の足が止まっていただろう。やつあたりが撒き散らす怒りをエネルギー源にすることでかろうじて保健室にたどりついた美瑞穂はすでに、顔も心も、涙と嗚咽にまみれて、めちゃくちゃになっていた。

11/4/2022, 4:21:25 AM