力を込めて___
小説日記
「先生は、どうして時々めがねを外すんですか?」
「どうしてだと思う?」
「誰の顔も何も見たくない、とかですか?」
「まぁ、そんな感じ」
「イルカは?どうしてめがね、つけないんだ?」
「嫌いだからです」
それで担任の先生との会話は終わってしまった。
私はめがねがあまり好きではない。というか、視界がはっきりしているのが嫌なだけだ。全てがくっきり見えると人の顔や目線がどんなに遠くからでもわかってしまう。そんなの怖いじゃないか。ぼやけてる世界のほうが楽に生きられる。その方がいいに決まってる。だから、私はコンタクトもめがねもつけない。何も、見たくないから。
「めがね、つけてみれば?」
そう顧問でもあり担任でもある先生に言われたのはコンサート直前だった。今回で三年生は引退する。私にとっては人生最後の楽器を吹く日かもしれない。そんな日にあんなくっきりとした世界で吹くのは怖かった。大勢のお客さんを相手に。
「でも、なんか怖いですし…笑」
「俺の指揮だけ見とけ。怖くなったら外せばいい」
眼鏡をつけてステージに上がる__
正直、とても怖かった。上がった瞬間、お客さんの目線がこちらに来ていると今やっとわかった。席に座り楽譜を開ける。スポットライトの光がいつもより眩しく感じて思わず目を細める。私は怖さと緊張で手が震える中、始まるギリギリまで眼鏡を外そうか迷っていた。
音がなり始めた。
眩しくて眩しくて、怖くて怖くて。必死に曲にしがみつく。なぜか涙が出てきそうだった。だけど、このまま下を向いて終わりたくない。その思いが一層体の中で駆け巡り私は顔を上げる。
__ゾクッ
先生と目があった瞬間、鳥肌が立つ。いつもとは違う力強さに少しだけ恐怖を覚えた。でも、それと同時に安心した。いつもこんな表情をしていたんだ。それからはずっと先生の指揮を見ながら力を込めて演奏した。
曲が終わると会場が歓声に満ち溢れ、薄暗い観客席から拍手が聞こえた。あんなに怖かったスポットライトの光ももう、なんとも思わなくなった。先生の背中がはっきりと見える。その背中はとても大きく見えた。隣のユーホニアムや同じパートのホルン。その一つ一つが輝いている。
ただただとても綺麗だと思った。
「先生、ありがとうございました」
私は力を込めてそう言った。
10/7/2022, 12:01:43 PM