満開の桜が咲き乱れている。そよそよと風が吹く。ふわ、と花びらが一枚、また一枚と舞いながら落ちていく。母に急かされ、胸に名札をつける。小学3年生と書かれた文字が輝きを帯びている。新学期。初めてのクラス変えに心が浮き立つのを隠せない。昔からの顔馴染みに新しい顔ぶれが揃った教室の中に僕はいた。ガラガラガラ、と教室のドアが開き、「おはようございます。これから自己紹介をしてもらいます。名前と将来の夢を教えてください。」廊下側の席から、新しい担任の先生と思われる女性は、それだけ言うと教卓の席に座った。僕の名前は、と順々に席を立ち上がり自己紹介が始まる。皆、淡々と名前と将来の夢を語る中で僕は頭が真っ白になっていた。何を言えばいいのか分からずに自分の番になった。感じる目線。顔が熱くなっていくのが分かった。震える声で名前を言った。将来の夢は、と口にしたところで言葉に詰まった。感じる視線に耐えられず俯いてしまった。仕方ないので、ないです。よろしくお願いします。といい、そそくさと席に座った。次の席の人が立ち上がりみんなの視線もそちらに向かったので、ようやく顔の熱が冷め始めた。この時の僕は自分のやりたいことなんて必要ないとさえ思っていた。
「ただいま。」僕は学校から帰るなり配布物や教科書で重たくなったリュックサックを放り投げ、流行りのテレビゲームをつけ、始めた。「手を洗いなさい。」唐突に聞こえた声が居間に響く。母は新しいクラスはどうだったの、勉強はと質問攻めのように聞いてくる。煩わしくなり、ゲームを中断し、外へ出た。
当てもなくふらふらと公園へ向かう。
「シュートっ!」公園には人だかりがあって、サッカーが行われていた。少し遠くから眺めていようと地面にしゃがんだ。おーい。声がした方を見ると同じクラスの翔が僕を呼んでいた。一緒にやろうと僕はチームに加えてもらった。サッカークラブに所属している翔はとてもサッカーが上手で人望が厚く、よくモテる。幼馴染ということもあり、彼に引け目を感じていた。試合は4-3で勝った。翔がいるこちらが優勢であったが、相手チームの剛士が立ちはだかった。剛士は野球のスポーツクラブに所属しているがスポーツ万能で何をやらせても上手い。試合に勝つのもギリギリだった。青空に高くそびえていた太陽も沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。皆、お腹が空いたと帰路に向かっている中、翔は1人もう少し残るとボールを蹴っていた。
翌日、登校すると翔と剛士が喧嘩をしていた。なんだなんだと生徒がわらわら集まり、廊下は人で溢れていた。2人にどうしたのと問いかける。翔が震えた声で話しだす。昨日のサッカーの後、1人残ってサッカーの練習をしていたが剛士がやってきた。1対1で勝負をしようと。2人は日が暮れた後もサッカーをしていたのだ。翔のドリブルを剛士が止め、そのままゴールに向かいシュート。ボールはゴールに吸い込まれた。剛士は翔の方を向きハッと笑い言った「お前の努力は無駄」と。翔は剛士の首元を掴み剛士も翔の首元を掴んだ。携帯の音が響く。翔のお母さんから電話が来たのだ。流石に帰らなければ、そう思い、帰宅の準備をする。剛士はその背中に侮辱した言葉を発し続けた。そして、今朝のこの時間、翔は剛士に掴み掛かった。翔の目には屈辱の涙が浮かんでいた。先生は、お互いに謝りあってその場を収めるようすすめ、2人は時間をかけながらも応じた。
僕はその光景が理解できなかった。喧嘩をしていたことではない。翔のサッカーに対する熱意に対してだ。一騒動が落ち着き、自分の席で考える。僕には他人より優れたいとか負けたくないとプライドを持ったものがない。改めて思い、自分の席から翔の方をみる。翔はサッカーの本を読んでいた。こんな時でもサッカーか。僕は思った。授業が終わり、帰宅していた。今日は家に着いたら何をしようか、などと考えていると、「ういー」背後から声がした。振り向いた先には翔がいた。今朝の翔とは違い、みんなから人気のあるいつもの翔だった。一緒に帰ることになり、今日の給食の美味しかったものなんかの他愛のない話をしたながら帰っていた。ふと、昨日の自己紹介の時を思い出した。そーいえば、翔の将来の夢ってなんだっけ?と聞いた。
翔はキラキラした目でまっすぐこちらを見た。「サッカー選手!」彼は饒舌に語りだす。昔、テレビで見たW杯が忘れられない。家族だけじゃない。日本が、世界が一つになってサッカーを応援する。その舞台に立ちたい。選手は誰よりも努力していて、誰よりもかっこいい。俺もそうなるんだ。だから誰にも負けるわけにはいかない。語る翔の目は誰よりも輝いていた。翔と別れた。恐らくこの後も公園でサッカーが行われるのだろう。
僕は翔の目を思い出し、胸に熱が帯びるのを感じた。やりたいことがあるっていいなあ。心から彼を羨んだ。
『やりたいこと』
6/10/2023, 2:11:39 PM