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【それでいい】

とある国の権威ある大学が、高名な教授を招いて特別講義を開くことになった。約一月間を予定し、受講者はその大学の学生に限らず、希望する者は定員に至るまでだれでも募集するという。それを聞いた各地の学生たちはこぞってかの大学へと集まり、ぞくぞくと受講資格を手にしていった。そろそろ定員に達するかというころ、また一人受講希望者が現れたのだが――――
「お願いです、受講がだめなら聴講だけでも参加させてください」
「まことにすまないが、当大学は君を受け入れることはできないのだよ」
「それは……私が女だからなのですか?」
「…………」
応対に出た受講希望者受け入れ担当の教授は彼女の疑問に言葉で答えることなく、ただ憂い顔で沈黙した。そんな煮え切らない態度に失望するも、彼女はひとつ小さく息をつくと毅然とした姿勢で担当教授に言った。
「今日のところはこれで失礼いたしますが、私は諦めません。まだ定員に空きがあるまでは、毎日お願いに伺います」
ではごきげんよう――お互い礼儀正しく会釈し、担当教授の部屋から出ていった彼女を見送ると、教授は同席して傍に控えていた助手に目をやった。
「さて出番だ、わが聡明なる助手よ」
「え、ぼくが?……と、言うことは、わが寛大なる教授、もしかして彼女に受講資格を与えたいとのお考えですか?」
「当然じゃないか!君も聞いたろう?彼女が語った数学、物理学、天文学における高度な知識と情熱を。そんな優れた才能あふれる人材を、女性だからという愚かな世間の風潮だけで無下に追い払わなければならないのだから、嘆かわしい限りだ!だが世間の野蛮な石頭どもにはどんな理屈も通じまい……よって、君の出番というわけだ。いますぐ彼女を追いかけて、問題なく受講資格を得られるとっておきの方法を助言をしてきたまえ。君がよく知っているあの方法だ。わかるだろう?」
意味深で悪戯な笑みを浮かべウインクをして見せた教授に、助手は莞爾の笑顔を向け、
「承知いたしました、教授!」そう言って部屋から駆け出していった。

「そこのマドモワゼル、お待ちください!」
門を出たすぐの通りで、馬車に乗り込もうとする彼女をなんとか呼び止めた。
「あなたは……教授の部屋にいらした……」
馬車の扉に手をかけたまま、驚いた顔で立ち尽くしている。
「ああ、追いついて良かった。その、お話したいことがありまして。もしよろしければ、少しお付き合いしていただけませんか」
全速力で走ったため、息を整えながら伝えた。すると彼女は警戒の眼差しで「どういったご要件でしょう?」といぶかった口調で訊ねた。
「唐突にお誘いした無礼をお許し下さい。受講資格の件でお力になれればと思った次第なんです。いかがでしょう?」
「なにか良い手段があるのですか?」
いぶかる面持からじわりと期待の表情をにじませて、馬車の扉に掛けたままだった手を離すと彼女は助手に一歩あゆみ寄った。
「ええ。少々姑息な手ですが、ご検討される価値はあると思います」

近くの遊歩道へと場所を移し、ゆっくりと歩きながら彼女は、助手の話に一切口を挟まず黙って耳を傾けた。声には出さずとも、ときどき見開いた驚きの目で興味深く聞き入り、やがて助手が話し終えると、感心と興奮でほんのり上気した頬に両手を添えて、独り言のように彼女は言った。
「その手がありましたか……男性のふりをする……なぜ思いつかなかったのでしょう……」
彼女にとっては意外な盲点だった。新鮮な感動に笑みがはじけるが、次の瞬間には不安におそわれ、眉曇らせた顔を助手に向ける。
「――ですが、うまく皆さまを欺けるものでしょうか……女だと露顕してしまったら、どうなってしまうのでしょう?」
もっともな心配事だったが、助手は事も無げに答える。
「たとえ露顕しても特に問題ありません。たいていの人は素知らぬ、気付かぬふりをしてくれますよ。やっかいな人に気付かれたときでも、多くの人があなたを守るために、とぼけてかばってくれるはずです」
「――そう……なのですか!?」
その言葉に彼女はひときわ驚いたようで、思わず立ち止まって息をのんだ。助手も足を止め、笑って彼女に言い添える。
「ええ。ジャンヌ・ダルクのような女性はいつの世でもいるものです、そしてもちろん味方もね。とにかく男のふりをしてさえいれば万事うまくいきますよ。そもそも男女の区別なく真に教養深い人間は、男尊女卑なんて理不尽な思想は唾棄すべきものと考えていますし、この大学でも世間でも思いを同じくする人は実に大勢いて、しかも徐々に増えてきているんです。いづれはそんな悪しき思想も薄れてゆくと信じていますが、今はまだやはり頑迷固陋の勢力が強い。なのでこっそりと裏をかく手段で立ち回るのがなにより無難でしょう。女性として堂々と振る舞えないのは癪でしょうけれど、やつらと正面から対立しても道理が通じない相手ですから埒が明きません。無駄骨を折るだけでバカバカしいの極み、それより逆手を取った戦略で賢くいくべきです」
助手の述べることに彼女は小さく何度も頷き、理解して納得する仕草で返した。
「そう……ですね。ようやく古い時代から新しい時代へと進みはじめたばかりですものね。――それでいい。今はまだ息を潜めながらも、彼らの裏をかいて、したたかに、女でもやりたいことを自由にやってみせる。わかりました。私、男装で挑みます」
楽しげにもたくましい、それでもって穏やかな微笑みを浮かべて宣言した彼女は、ふと突然何かに気付いたようで、はたと助手を頭のてっぺんから靴の爪先までをしげしげと見つめ回した。身なりは男子学生ではあるが、体格はかなり華奢で、背も自分より高いがたいして違わない。声も男性としてはいささか……そう、彼は、まるで……
「もしやあなたも……」
彼女がその先を口に出す前に、助手はすばやく自分の口元に右手人さし指をあててウインクをし、静かにさせた。そして先に教授が彼にしたような悪戯な笑みでにっこりと告げる。
「同士の先達者の一人として、当大学特別講義に受講されるあなたを歓迎します」
謎掛けのような言葉で助手が言わんとすることを察すると、彼女は肩をすくめて開放的な笑顔を見せ、二人で親しく笑いあった。

それから次の日。助手の助言に従って男に扮した彼女の受講参加が問題なく認められた。愉快で充実した一月の特別講義を彼女は満喫し、助手とは親友になって、その後二人は他のたくさんの仲間とも共に、男装で色んな界隈に繰り出しているそうである。

4/4/2024, 1:08:30 PM