青年は深海で、ひとり沈んでいった。
もがくことを忘れたのは、
苦しみのせいではない。
アクアマリンのような瞳を見てしまったからだ。
人魚にも似た妖精は、ただそこに在った。
その瞳の奥には、宝石のような青が揺れている。
触れれば壊れてしまいそうな、
けれど永遠に失われなさそうな光。
沈みながら、
その者は声にならない恋の言葉を吐こうとした。
けれど口から浮かんだのは、
ただ静かな泡だけ。
手を伸ばす。
届くはずのない距離。
それでも、妖精は気まぐれに口付けを落とした。
意味もなく。
感情もなく。
ただ、泡が美しかったから。
その口付けは冷たく、
けれど甘かった。
肺に満ちていた海水よりも、
ゆっくりと深く侵入する甘さ。
そして深海の底で、
ひとつの永遠が与えられた。
それが呪いなのか、祝福なのかは分からない。
その身体は動かない。
青い水の中で、まるで宝石のように静かに横たわる。
けれど完全な石ではない。
もう一度、
あの口付けが落とされれば、
息をすることができる。
そう言われている。
けれど妖精の心は、波よりも気まぐれだ。
一度落ちた口付けが、
二度落ちることはきっとない。
振り返られることもない。
それでも可能性は、ゼロではない。
だからその者は眠り続ける。
意識があるのか、ないのかも分からぬまま、
あの瞳の奥の青を、
永遠に体験しながら。
見惚れた宝石は、いまも輝き、
見惚れた者は、宝石のように沈んでいる。
深海には、
光らない青がひとつある。
それは目覚めない一つの希望
目を覚ます奇跡が底にあるのなら
青年はきっとこう言うだろう
「 待っていて、深海で見た私が恋をした宝石。 」
それは新しい人魚姫の物語。
恋に落ちたのは王子
壊れてしまう泡にならずに
宝石になり形になり残り
深海の底へ落ちた
またひとつの人魚の話。
目を覚ました王子があの人魚を探し、
船が難破して心を持つ新しい人魚に出会うかもしれない。
けどそれはきっと違うお話。
同じ世界で紡がれる違うお話。
2/13/2026, 12:20:36 PM