おんや、今日も来たんですか?
アンタ嫁さんほっぽってそんなフラフラと出歩くもんじゃありませんよ。
もうすぐあかんぼが産まれるんでしょう?
…しょうがないおヒトだ。ま、よぅござんす。
さて今回は何をお話いたしやしょうか。
ヱ、あたくしの話が聞きたいって?
アンタも随分と物好きなもので。
えゝ、いいでしょう。お話いたしますよ。
こいつぁあたくしが六つか七つくらいの時の、夏の話ですわ。
お隣にね、親戚夫婦が居たんですよ。
そんで、そりゃあもうべっぴんな奥さんがいらっしゃってねぇ。
いかにも儚げな――そう、今にも消えそうなくらいの――美しいヒトでしたよ。
柳のような細ぅい腰に、雪のような白い透き通った肢体に、これまた白雪の顔にぽつんと咲いた梅色の唇。
幼いながらにもあたくしの初恋は奪われちまいましたよ。
「ねぇさんねぇさん」って慕ってねぇ。
今でも思い出しますよ。
まぁ、生憎と先程「夫婦」と申したとおり、彼女には旦那がおりまして。
この旦那が、もう目も当てられぬほど救いようのないヤカラでございまして。
あっちこっちで女を引っ掛け借金を作り、酒を呑んじゃあ奥さんに当たる。
今となっちゃあ即お巡りさんにしょっぴかれてしまいますがね、
当時は見て見ぬ振り。
あたくしも親からあまり近寄るなとよっく言われましたねぇ。
しかしまぁなんですな。
幼いながらにあたくしも男。
旦那の横っ面でもいっぺん引っぱたきに行ってやろうと―――これはある意味復讐だったんでしょうがね―――とある深夜、あたくしはお隣にこっそり、忍び込みやした。
そして、あの糞旦那の寝所は何処だと、夜のくぅらい、蒸した廊下を息を殺しひたひたとさまよい歩きました。
すると何処かでふと、水音がしたんです。
ぴちゃり、ぴちゃり。
旦那はこんな時間にはもう寝てるはず…もしや奥さんだろうか?
そう意識してあたくしは音の方へと足を向けて長い廊下を歩きました。
音の出どころは、奥さんの部屋でした。
奥さんの部屋に水場なんてあったかしらと、障子に手をかけたその時です。
何やら障子の向こうからうんうんと、女の苦しげに唸る声が聞こえたんです。
あたくしゃびっくりしましたねぇ。
そんでうっかり、
「ねぇさん?」
障子を開けちまったんですよ。
そこには案の定、奥さんが居ました。
ブキミに薄暗い部屋の中、
畳は何かの液体でびっしょり濡れてまして、
そんで何やら鉄臭い匂いがほんのり漂って来るんです。
奥さんは何かを抱えて畳に座っていやした。
とっても愛しいものを見るような目で、
その何かに語りかけていやした。
あたくしはそぉっと奥さんに近づいて、
「ねぇさん、どうしたの?」
と聞きました。
そしたら奥さんは汗一つかかずあたくしの方を振り返って笑ったんです。
「あら来てたのねぇ縺ゅ≠ちゃん。
ホラ見て、やっとうまれたのよぉ。
可愛いでしょ?私の赤ちゃん。」
暗闇でよく視えない中、
鉄臭い液体にまみれ、
障子の隙間から差し込んでくる月の光で
てらてらと光るその赤子ぁ、
そりゃあブキミでしたねぇ。
「これからあのヒトに見せに行くわ。」
黒々としたあかんぼの匂いと、
白くて綺麗な奥さんの甘い匂いとで頭ン中がくらくらして、
いつの間にかあたくしは家に帰って布団の中で眠ってました。
その次の日でした、お隣で「ねぇさん」の旦那が死んだのは。
呪われたんでしょうかね、奥さんに。
女性には優しくしないと、後からどうなっても知りやせんよ?
なんつって。
さぁこれであたくしの話はおしまい。
お相手はあたくし、話し手がお送りいたしやした。
あぁ、言い忘れてました。
お隣に忍び込んだ十日も前に、奥さんは死んでたんですよ。
とすると、あの時見た「奥さん」は、一体「何」だったんですかね?
そんで、
「奥さん」は一体「何」を「産んだ」んでしょうねぇ?
おや、ちょいとアンタ、どうされたんで?
そんなまっつぁおな顔してさぁ。
ヱ、帰る?まぁまぁ、嫁さんが心配になったんですかい。
そりゃあ、お気をつけて。
―――「あかんぼ」の声が聞こえてますからね。
おぎゃぁ
ほら…別の意味で胸が高鳴りましたでしょ?
3/20/2023, 2:19:26 AM