月園キサ

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#大人しい2人がまったり恋してみる話 (BL)

Side:Tenri Fukaya



僕は生まれつき、声がものすごく小さい。
体育会系男子並みの大声を出そうとすると、喉を裂かれるような痛みに襲われる。

そんな僕はいつしか、人前で一切声を出さなくなった。
何度も聞き返されるのは苦痛だし、頑張って大声を出そうとするのも苦痛だから、僕の場合は少し手間はかかるけどメールや筆談で伝えたほうが早く伝わる。


"天宮先生の最新作発売の告知をしてからSNSでのいいねの数がものっっすごいことになってますよ〜!見ました!?"

"そうなんですか?SNSってあまり使わないのでよく分からなくて"

"ふっふっふ、これからさらに先生の評判もうなぎ登りになっていくと思いますよ!"


僕の名前は深屋天璃 。高校生の頃からずっと恋愛小説家「天宮シン」として創作活動をしている。

ずっとお世話になっている担当編集の佐藤さんは僕の声の小ささのことをよく理解してくれていて、それが本当にありがたい。


「…これで暫くは、ゆっくりできるな…」


ところが、大きく伸びをしてから立ち上がって後ろを振り返ったとき、僕はあっという間に締め切り明けの開放感から現実に引き戻された。


「…また部屋が悲惨なことになってしまった…」


…そう。僕は創作活動をしていると、集中しすぎて身の回りのことが一切できなくなってしまうのだ。
ひどい時だと、寝食すら忘れてしまうこともある。

このままではいけないと分かってはいるのに、この散らかりきった部屋を見る度に僕に生活能力がまるでないことを思い知らされる。

高校卒業と同時に母の生家だった一軒家を借りて一人暮らしを始めて、それから今までの数年間は1人で何とかやってきたつもりだったが…そろそろ人の手を借りなければ足の踏み場がない状態の一歩手前までになりそうだ。


「…だが、こんな僕と少し手間がかかる会話を続けていける気の長い人なんているのか…?」


思い切って家事代行サービスのサイトを検索したはいいものの、早速大きな壁にぶち当たってしまった。

耳が聞こえるのに声を一切出さずに筆談だけで会話をする三十路男が雇い主なんて、僕の声の事情を知らなければ絶対気持ち悪がられるに決まっている。
だからといって担当編集の佐藤さんに掃除まで手伝わせてしまったら佐藤さんの負担も倍になるし、絶対に迷惑がられてしまう…。


ネガティブ思考の無限ループにハマり始めたその時、家事代行サービスに登録している家政婦さんたちのリストの中の、とある家政婦…いや、家政夫さんの名前に目が留まった。


「野藤玲於さん…というのか。女性の方が多いけど、同性のほうが気が楽かも…」


野藤さんは僕より9歳年下の21歳で、家事代行サービスに登録している人の中では数少ない男性でありながら、家事全般を得意としているオールラウンダー。

そして何より僕が惹かれたのが、彼のプロフィールに書かれていた「口数は少ないほうですが、会話を長く続けることが苦手な方をはじめ、病気などが原因で会話が上手くできない方でも対応できます」の文字。


「…この人なら…」




──────────




「…やってしまった…」


約3時間かけて、ついに僕はおそらく僕の人生史上いちばん大きな決断を下した。
僕の荒れきったこの家の家事代行を野藤さんに任せることにしたのだ。

初めて利用するサービスということで、とりあえず契約時間は3時間にした。
幸いなことに今日は野藤さんに先約がない日だったようで、連絡したらすぐに来てもらえることになった。


「…この惨状を見てドン引きされることは覚悟しておくか」


約40分後。
何となく落ち着かないまま玄関のドアの前を歩き回っていた時、インターホンが鳴った。

…覚悟を決めるんだ、僕…。


「…はじめまして。この度深屋様の家事を代行させていただく、野藤玲於です」

「…!?」


初対面の彼に僕が抱いた第一印象は「怖そう」だった。

僕よりもかなりガタイがよくて、身長は明らかに190センチはある。
そして…声色は落ち着いているけれど、どこか無感情だ。

…本当に、彼に任せて大丈夫なのだろうか…?


"はじめまして、深屋天璃です。声が小さすぎてよく聞き返されるので、普段から筆談で会話をしています。すみません、話しづらくはないですか?"

「…あぁ、なるほど。筆談を用いる方への対応は初めてではないので、大丈夫です」

"ありがとうございます…では、どうぞ"


簡単な自己紹介をした後、僕は野藤さんを自分の部屋へ案内した。

…彼の反応は、だいたい分かりきっている。


「…これは…」

"…すみません。創作活動をしていると他のことがおざなりになってしまいがちで、ついにこんな惨状に…"

「…いえ、掃除しがいのある部屋だなと思っただけです。早速始めるので、触ってほしくないものがあればその都度教えてください」


…いや、そうでもなかった。
今回はむしろ、彼のこの落ち着きように救われたかもしれない。

野藤さんはエプロンとマスクと手袋で武装した後、かなり慣れたペースで淡々と掃除を始めた。

彼は本当に口数が少ないタイプのようで、僕が別作業をしていても必要以上に話しかけてくることはなかった。
でも…僕にはそれが、何だか心地よく感じた。



──────────



「…さん」

「…?」

「深屋さん」

「…!」


なんということだ…。思いのほか緊張しなくていい空気感で気が抜けてしまったのか、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

僕がハッと体を起こすと、時刻は午後6時。契約時間は3時間だったにもかかわらず、気づけば1時間以上タイムオーバーしていた。


"すみません…いつの間にか眠ってしまっていたみたいです。延長料金はいくらでしたっけ?"

「…いえ。俺が望んで残ったので、その必要はないです」

「…?」


辺りを見回すと、あんなに散らかり放題だった僕の部屋はビックリするほど片付いていた。
あの部屋を…約3時間ちょっとで片付けられたのか?

そして、望んで残っていたとはいったい…。


その理由は、キッチンから漂ってくる美味しそうなにおいですぐに分かった。


"もしかして、夕食まで作ってくれたんですか?"

「あ…はい。片付けていた時にパスタの作り方の本を見つけたので、作り置き用のおかずと一緒に作ってみました」

"ありがとうございます…何から何まで"

「いえ…では、俺はこれで失礼します。ご利用ありがとうございました」


…なんだか、泣きそうだ。
一人暮らし続きで孤独を感じていた心が、野藤さんの優しさでじんわりと癒されていくのを感じる。

部屋は見違えるほど綺麗になったけど…もし僕がまた家事代行をお願いしたら、彼は来てくれるだろうか?
またいつか、彼の優しさに触れられるだろうか?

そう考えるより先に、僕の体が動いていた。


「…?深屋さん?」

「…」


野藤さんが玄関のドアを開けて出て行く前に、僕は彼の服の裾を掴んで彼を引き止めた。

そして僕は出せるだけの勇気を全て出して、彼にこう提案した。


"契約の延長もしくは、再契約は可能ですか"

「…!」


この瞬間を、後に僕は何度も思い出すこととなる。

今日が恋愛小説家でありながら恋とは何かを知らなかった僕の、初恋の日となったのだから。




【お題:初恋の日】


◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・野藤 玲於 (のとう れお) 攻め 21歳 家政夫
・深屋 天璃 (ふかや てんり) 受け 30歳 恋愛小説家(PN:天宮シン)

5/7/2024, 1:40:20 PM