Seaside cafe with cloudy sky

Open App

【入道雲】

「サヨちゃん、チヨちゃん、またお願いしたいんやけど」
縁側で涼んでいたら近所の今井さんが庭から訪ねて来て、白い布と「赤い糸」が通った針を私たちに差し出した。
「ああ、千人針やね。今度は誰のん、おばちゃん?」
先にチヨが手に取り、スイスイと齢の数だけ玉結びを縫いつけながら訊ねる。今井さんは縁側の私の隣に腰掛けてひと息つき、手ぬぐいで額の汗をふきながら言った。
「辰悟のんよ。なんやすごいお船に乗組みが決まったそうで……」
今井のおばちゃんはなんとなく萎れた口調で、どこか遠くを見つめて答えた。うだるような梅雨明け前の昼下がりの休日。空には夕立ちを予感させる雲がたくさん浮かんでいる。
「辰にいちゃんのかあ……そっかあ……」
うまく言葉を返せず、チヨは今井のおばちゃんの横顔を見つめ、はい、サヨちゃん。と、縫い終えた千人針の布と糸つきの針を私に回した。
「――子だくさんで騒がしかったんが嘘みたいやわ。おばちゃんとこ、ついに和美と女二人暮らしになってもうた……」
そう言うとおばちゃんは寂しそうに小さく笑った。男の子ばっかりの大所帯やったのに、みんな次々と戦場へ行きはって。ついに末の辰にいちゃんも……お子さん、一人娘の和ちゃんだけが残ってんのね。海軍士官の旦那さんは全然帰ってきはれへんし……辛いやろうなあ。針の手を止めずに心のなかでおばちゃんに同情した。
「……よし、できた。みんな無事に帰ってきはるよう、特に念込めて縫っといたから」
ようやく縫い終えて、はい、と頼まれたものをおばちゃんに返す。なんとなく湿っぽくなった雰囲気を紛そうとしてか、おばちゃんはわざと明るく振る舞って、おおきに〜と芝居っ気たっぷりに千人針をありがたく押しいただいて受け取った。
「息子らので毎回ゴメンな、サヨちゃんチヨちゃん。元年生まれの、しかも双子のあんたらにはほんまにお世話になるわ。これ、ほんのお礼に取っといて」
と風呂敷を広げ、転げ出てきたとうもろこしを何本も分けてくれた。私たちはキャッキャとはしゃぐ。
「じゃあもうお暇するわね。雨の匂いがしてきたし」
おばちゃんが帰って行ったあと、すぐにポツポツと降り出してきてやがてどしゃ降りとなった。けれど日が暮れた頃にはピタリとやんで夜はずいぶんと涼しくなった。そしてその日の晩ごはん時、工場の勤労動員から帰ってきた両親に、二人で今日あった今井さん家のお話しをして、茹でたとうもろこしを家族みんなで美味しくいただいた。

6/29/2024, 4:45:16 PM