ゆっくり私の中に染み渡っていったあの人。ずっと見ていた。犬のように、そこに現れるのをいつも待っていた。現れたところで私は固まってしまうし、締め付けられる胸を抑えようと持ち物を両手で抱き締めて、その人の影を目に焼き付けるように、後ろ姿や横顔を凝視するだけなんだけどね。そんな風にいつもいつもただ見ていた。でもあるとき何の奇跡かその人と狭い空間で二人きりになる機会があって、そのときに「今この人に話しかけておかないともう2度と会話ができなくなってしまう」という直感めいたものを感じ、勇気を出して初めて話しかけた。目を合わせれば手が震え、一瞬の沈黙に俯き、なんとか、ぎこちなく、必死で口をパクパクさせていたように思う。でも夢のような時間でした。そのときにあの人の口から近々ここを去ることを告げられ、結局これきり、最初で最後。あの人は居なくなってしまった。もう待っていても現れない、もうどこにも居ない。
ただあの僅かな時間の中だけは、あの人の目に私が映り、あの人の中に私の言葉が入り、あの人の言葉や声、笑った顔、感情を確かに私に向けてくれていた。それだけです。そうして私があの人の人生の小さな埃や砂の一粒になれたと思えば、あの人の後ろ姿を思い出して溢れる涙も、締め付けられる胸の痛みも、私だけのものにして大事に抱えていける気がします
5/19/2024, 8:09:13 PM