004【蝶よ花よ】2022.08.09
女学校の同窓で、忘れられぬ者がいる。
喜和子だ。
「蝶よ花よだなんてことば、この世から無くしてやるんだから!」
卒業までに数ヶ月残して学校を去らねばならなかったあの日、彼女は山猫のようにぎゃんぎゃん泣きわめいた。
喜和子の望みは、通訳になることであった。学びのために、学校は最後まできちんと出席したかったのである。そして、当節流行りのモガのように、髪を短く刈り揃え、外国と我が国の紳士同士のやりとりを颯爽と仲介する、そんな姿を目指していたのである。
しかしながら、両親がそれによい顔をするはずもなく、「蝶よ花よと育てた娘を、異国人の只中に放り込むなんて、恐ろしい」とか「蝶よ花よと育てた娘に、みずぼらしい髪型なんてさせられるものか」とかと、事ある毎に渋面をみせ、挙げ句、さっさと縁談をまとめて女学校を辞めさせる、という強硬手段に出たのである。
蝶よ花よと傅育されることは、貧しい育ちの少女にとっては、夢のまた夢、憧れですらあることだろう。だが、時代の風に感化され、独立心旺盛な女性に育った喜和子にとっては、蝶よ花よと手厚くかしずかれる一方で、雨にも風にも当てぬよう囲い込まれるような出自は、呪い以外の何物でもなかったのだ。
ユキちゃんなら笑わないわよね、と喜和子が打ち明けてくれたことがある。
彼女が好きなのは蝶ではなく、庭のダンゴムシ。危険なときにはコロリとまるまって身を守り、危険が去ればまたモゾモゾと這い、我が道を行くところが、見た目に似合わず賢明じゃなくって?、と。
8/8/2022, 5:57:14 PM