さよならを言う前に
少年と村のお狐様のお話。
「僕ね、余命があと一ヶ月なんだ」
「は‥?」
僕が笑ってそう言えば目の前の彼は心底信じられないような顔をしていた。そよ風が僕らの間を通り抜け落ちた葉っぱを乗せて彼方遠くまで吹いていった。
去年の夏休みの間、僕は母の実家に泊まりに行った。何度か行ったことはあるが、都会暮らしの自分にとって田舎は世界観がガラリと変わり、見慣れないものばかりでワクワクしていた。そこの近くの人気のない神社で僕と彼は出会った。
月のように綺麗な長い髪に、それに似合うフワフワの耳と尻尾。澄んだ海の瞳を持つその人はとても美しかった。
彼はこの町を守る"お狐様"らしくずっとこの神社から離れていないのだそう。確かに人間とは思えないくらいの綺麗な顔立ちで、思わずぼんやりと見惚れてしまうほどだ。
僕は暇な時はその神社に行って彼と話していた。彼は最初警戒していたが、次第に心を開いてくれて一週間もすればすっかり仲良くなった。
夏休みが終わる頃、東京に帰る前に僕は例の神社に向かう。僕が帰らなくちゃいけないと言うと、彼は驚いたような顔をしていた。そしてすぐに悲しそうな表情を浮かべた。
「そうか‥」
視線をずらして言う彼に僕は心が苦しくなった。
「でも、来年の夏! ここに来るから!! また君に会いに行くよ!」
だから、一人じゃないよ。僕がそう言うと彼は目を見開きクスリと笑った。
「お前はいつも元気だなぁ。いつか、本当に遠くに行くんじゃないかと心配になるよ」
「そんな事ないよ! 僕ね、大人になったら此処に住もうと思って考えてるんだ。そしたら、いつでも会えるでしょ?」
「そうかそうか。それは頼もしいな。クフフ‥約束だぞ?」
「うん、約束!」
◇
目の前に居る痩せ細った人間は俺の顔を見て力のない笑みを見せた。一年前に出会った時とは全く違い、あの朗らかな雰囲気が今ではススキのように欠けてしまっている。
余命が一ヶ月?
最初、彼の言っている意味が分からず困惑してしまった。すると彼は「あのね」と小さな声を漏らした。
「帰ったあと、体調が悪くなっちゃってね。‥‥‥最初は風邪を拗らせたのかなって思ったんだけど一向に治らなくて。それで病院に行ったら、不治の病だったんだって」
「‥‥」
「不思議なんだよね。あと、一ヶ月で死ぬって言うのにどうしてこんなにピンピンしてるのかなって。それで思ったの」
一拍置いて彼は言った。
「きっと君との最後のお別れの時間を神様が残してくれたんだって」
あぁ、嘘だ。嘘だろう?
嘘だと言ってくれよ。
どうして、彼がこんな目に‥!
「泣かないで‥。でも、ごめんね。ずっと一緒にいるって、もう君を一人にしないって約束したのに‥‥」
ゲホッゲホッ。
彼が激しく咳き込み始める。
元気だなんて嘘じゃないか。
彼を怒ってやりたい気持ちと心配が重なり言葉に詰まる。俺はどうする事も出来ず、ただ、彼の細い背中を優しく摩る。前までは程よい肉付きの体格だったのが今では別人へと痩せ、華奢とは言えないくらい寂しい背中だ。
「‥‥ありがとう。君は、優しいね」
「なぁ、ナツカ。俺を一人にしないでくれ‥。俺は、お前を失ったら、一体どうしたら‥‥」
彼—ナツカは「ふふ」と微かに微笑んだ。
「でも心配しないで。君は一人じゃないよ。僕のお婆ちゃんや近所のおじさんとか言ってたよ。君のこと。『この町には、心優しいお狐様が見守ってるんだよ』って。僕、その話を聞いてこの神社に来たの。そしたら、君に会えた」
「ナツカ‥‥」
「僕は君に会えて良かったよ。短い間だったけれど、もっと早く君に会えてたら良かったのにな‥‥」
オレンジ色の空がナツカを照らす。日が暮れ、鴉の鳴き声が響き渡る。茶色く透き通ったナツカの髪の毛は橙色に染まりかけ不意にも綺麗だと思ってしまった。ナツカはふわりと笑った。
「君は‥いつ見ても美しいね。夕焼けに見る君は更に綺麗だなぁ」
「‥‥‥」
「いつか、生まれ変わったら会いに行くね。必ず‥絶対‥」
そう言ってナツカは俺の髪を優しく撫でた。
保証のない約束をしても意味がないと言うのに、俺はどうしてここまでになっても信じようとするのだろう。
でも、確かにあったのは、
信じたかったと言う最後の願いだけだった。
「じゃあ、また、明日来るね」
「あぁ。此処ら辺は夏でも夜は冷える、暖かくして寝ろよ」
「うん。君が言うならそうだね。じゃあ」
「さようなら」
ナツカはそう言ってゆっくり神社の階段を降りていく。俺は彼の背中が小さくなるまで後ろから見ていた。
「さようなら‥‥。ナツカ」
また明日、会おうな。
でも、この夏が終わってしまえば。
そしていつか、本当の本当に—————。
8/20/2023, 10:29:48 AM