バカみたい
" 情けは人の為ならず "
昔に祖父がこんな事を言い出した。
『ひとのためならず?』
幼い私には、その言葉は少し難しくて祖父に聞き返していた。
そんな私を見て祖父は、穏やかな笑みを浮かべてから私の頭を撫でた
『いつかお前もわかる日がくるよ。
でもそうだな簡単に言うなら、困ってる人を助けてあげたら、きっとその人は嬉しくなってお前に恩返ししたくなる、だから自分ばかり人に優しくするのは損だと思う事があるかもしれないけどそんなとき、優しさはいつか返してもらえるレンタル品だと思っていれば気は楽だ……ってことだよ』
って言ってももっと難しいよなと枯れ木のように細い体を揺らしながら言う祖父。
高校に上がった今でも、この会話は鮮明に覚えていて、今では私の心の支えになっている。
『君ってなんのために人に優しくするの?』
『え?』
昼食を取ってる最中、突拍子もなく投げかけられた質問に固まってしまった。
別に言葉の意味がわからなかったのではない。
バカみたいな質問、そう思ったから。
私には、わかりきった指標だ。
『だから、君いつも人に善意を振りまいてるだろ?
近くで迷ってる婆さんがいたら交番まで案内したりさ、今時漫画でも見ないよ。』
眉を顰め言う友人に、私は口角を上げ言う
『善意ってさ、巡り巡って自分に返って来るものじゃない?
だからこれは、いつか自分を助けて貰うための先行投資なんだよ。』
そしてこれは、祖父から教わったことを自分なりに再解釈したもの。
私の回答を聞いた友人は、尚も眉を潜め続け
しかし口角が少し上がっていたのを私は見逃さなかった。
昼食後には体育が控えており、食後の運動ということと、本日外は真夏の炎天下であることとで見学者は大量。
温度調節を間違えたサウナのような体育館で、授業は当然のように執り行われた。
授業の初めに行われるウォーミングアップのランニング、筋トレを順当に終え集合すると、フラフラと拙い足取りで授業担任の元へ向かう生徒の姿。
それはクラスの中でもあまり目立たないキャラの森崎さんであった。
半袖も嫌になるくらいの暑さ、彼女だけはジャージを着用していた。
顔も真っ赤だおそらく熱中症だろう。
話を聞いた教師はすぐに声を張り上げた
『体調不良だ、保健委員いるかー?』
私の隣に整列する保健委員のはずの生徒は、悪さがバレた子供のように肩を縮こませ、前の生徒の背に隠れていた。
誰もそれを指摘しない。
本当バカみたい、与えられた仕事も全うできないなんて。
『はい、私行きます』
痺れを切らした私はそっと挙手した。
『ありがとう小峰頼んだ』
私は森崎さんに歩けるか聞き首を横に降るのでおぶって保健室まで連れて行った。
" 情けは人の為ならず "
何かを行う度にフラッシュバックするこの言葉。
きっと、きっと返してねと願いながら養護教諭と、森崎さんに会釈する。
関わりの少ない人間への手助けを拒むようであれば、保健委員なんて辞めてしまえばいい。
保健委員への不満が募る。
結局その後戻った授業は集中できずに時は過ぎて行った。
帰りは昼食の友人と、嫌な予感というものは的中するもので、案の定友人は言った。
『あんなの保健委員にやらせればいいじゃないか』
友人は同じクラスで、保健委員の後ろに並んでいたはずで、そいつの愚行を目撃していた筈なのに。
白々しく口にする友人に怒りが込み上げるのをグッとこらえる。
『体調不良の生徒を保健室に連れていきたいなら、保健委員に入ればいいのに』
『…まぁ委員会はもう学級委員に入っちゃってるからね』
そう言って頑張って口角を上げて見せる。
私だって、本当に入りたかったのは保健委員だった
しかし委員会決めのとき。
学級委員が決まらなければ以降の委員会決めは進まないのに、誰も学級委員をやりたがらなかったから。
優等生の佐藤も、発言力を持つ伊藤も
俯いたまま何も言わなかったから。
これも善行だと思い、" 情けは人の為ならず "だと思って歯を食いしばり手を上げた。
友人はふうんと少し口角を上げながら答え、分かれ道を私と別の方向に進んでいった。
ほっと一息やっと気の抜ける空間それが我が家
嫌味な友人も、クラスの好奇の目も忘れられる私と私の大切だけの空間。
ベッドにゴロリと転がり込み、偶にはセンチメンタルになってみる。
私が保健室に連れて行っている間、悪口を言われているのは、知っていた。
と言うか私が森崎さんに歩けるか聞いていたタイミングではもう、聞こえていた。
私が何か悪いことをしたのか?
優しさは返ってくるのでは無かったのか?
やり場のない疑問は家の天井が吸い込んでくれる。
『ご飯できたってさー』
優しい声と共に部屋の扉が開く。
姉だ、少し歳の離れたショートカットの姉は
私のことをよく可愛がってくれている。
『わかったー』
力なく返事をする私に姉は直ぐ気づいて微笑みかけてくれる。
『なんかあったらいつでもお姉ちゃん頼りなよ』
なんて、なんて眩しい人だ。
姉のこの一言だけで、1ヶ月分のネガティブは吹き飛んでしまいそうな。
本当に血が繋がっているのか疑わしい、私は姉のように人に優しくはできない。
晩御飯とお風呂を済ませ、もう一度寝具に横になり、これ以上深く考えまいと無理やりに眠った。
その日の学校は厄日でだった。
朝から隣の席の上村さんが教科書を忘れてオロオロしていた。
上村さんには以前も教科書を貸してやったことがあったのだが、それというのも彼女は気が弱く、忘れ物をした事を教師に伝えて怒られるとポロポロと泣きだしてしまう。
そうなれば、鼻をすする音や嗚咽といった体の音が隣の私の耳には届いて来てしまう。
それがどうにも不愉快で、嫌だから私はこの子が泣くまいと以降は、忘れ物をしていそうな雰囲気があったら自分の教科書を犠牲にして私が忘れたと名乗り出るようにしている。
今日もオロオロしてる彼女に私は
『大丈夫?私の教科書使いな?』
と差し出した。
授業始まりのチャイムが鳴る前に教師に教科書を忘れた旨を伝える。
『またか小峰!お前は毎度忘れ物をしよって、授業を受ける気は………………』
わかってますよ先生、受ける気はありますから、
もうわかったからそんなに怒らないでよ。
頭の中のモヤみたいなものがグルグル脳みそ中を駆け巡りめまいがする。
雑音がなり終わると、上村さんに罪悪感を与えぬよう笑顔を貼り付けて席につく。
一体私は何のためにこんな事をしているのだ?
今日の昼食もあの友人と一緒、と言っても友人はこの人しか居ないから、当然と言えば当然。
友人はまた私に言った。
『忘れ物なんて自己責任じゃないか、わざわざ君が忘れたことにまでして貸してあげるのはやり過ぎなんじゃないかい?』
彼女の泣き声の件は友人は知らない。
言って上村さんのイメージを崩してしまっても悪いから
『だって忘れ物は成績に影響しちゃうんだよ?
あの子進学希望だーって言ってたからさー』
なんて、彼女が進路希望も知らないで言った。
ある意味これもイメージが変わってしまうかもしれない。
じゃあ真実を伝えるべきだったか?
もうわからない、訂正する気も起きない。
どうせ彼も私しか友人は居ないから、バレる可能性も限りなくゼロに近い。
彼は今度はニタリと湿度のある笑みを浮かべて
そうと表情とは裏腹に乾いた返事をした。
午後の授業は温かい気温と満腹感からウトウトしてしまったが、脳裏にべっとりこびり付いたアイツの笑みが思い返される度、目が冴えた。
その日の帰りのホームルームは、いつもと空気が違った。
クラスで大切にされていた、少し前の代の卒業生からの贈り物だった花瓶が割れていた。
その花瓶を贈ったのは姉の代だった。
私はそれを知っていたので、それなりに衝撃はあったが、それ以上の衝撃を与えるくらいの迫力で、担任は怒号を上げた。
『犯人が名乗り出なければ、今日は全員帰れないからな!!』
面倒なことになった、担任の喚き声を境に誰も発言しなくなっていた。
教室に静寂が舞い降りる。
不愉快な静けさ、自分の早くなる鼓動が隣の席の人間にも聞こえてしまいそうな。
そんな静寂は数十分も続いたが、我慢の限界が来た 生徒たちの犯人探しの声であっさり破られてしまった。
お前がやったのか?
いやお前だろ!
そんな醜い争いの中に聞こえた一言。
『また小峰が名乗り出てくれたら良いのに』
それだけが鮮明に、確かに聞こえてきた。
私が善行のつもりで行ったことも結局は都合の良い行為であったのか。
薄々気づいていたことを再確認すると、何だかもうどうでも良くなってきた。
頭の中のモヤが晴れたかのような、はたまた肩の荷がストンと落ちたようなスッキリ感。
『いい加減にしろ!自分のやったこともわからないのか!!』
もう一度教室中に響き渡るその声で、生徒は静まり返った。
私は腹を括って手を上げた。
『はい!』
震える声で、皆のバカみたいな期待に沿うように。
『ごめんなさい…花瓶割っちゃったの私です。』
3/22/2026, 10:01:03 PM