愛を注いで
あの日も寒さが厳しくて、気がつけば肩はすくみ気を抜けば「寒い」と口に出してしまう、そんな真冬の日だった。マフラーをしても手袋をしても、上質なキャメルとシルクで作られたテディベアみたいにもこもこであったかいコートを着ていても、一旦外に出てしまえば冷気に囚われ、それはじわじわと体の芯まで浸食していく、そんな日。
肩をすくめながら眉を寄せ、ただただ無言で隣を歩き続けるあたしをみかねた◾︎◾︎は、「あったかいモン食ってけよ」と当時◾︎◾︎が住んでいたアパートのキッチンで豚汁を作ってくれた。その出来事はたぶん、一生忘れないと思う。
大きめの陶器のおわんによそわれた豚汁の具材は、しゃぶしゃぶ用の薄切りにされた豚肉をはじめ、じゃがいも、にんじん、だいこん、こんにゃく、ごぼう、しいたけと定番のものだ。だけれど今まで食べたことのある豚汁と違うのは、千切りの生姜とすりおろしの生姜、そしてかくし味としてごま油がすこしだけ入れられているというところだ。生姜とごま油の香りが食欲をそそり、ひとくち汁をすすればそれらと調和した味噌のコクとうまみが口の中にしみわたる。二口、三口と食べすすめていくうちにすぐに体温が上昇して、手先やつま先までポカポカになった。◾︎◾︎は「レトルトパックの野菜使ってるから物足りねーとこあるかも」とかなんとか言っていたけれど、そんなのまったく気にならなかった。あたしはそれを機になにかと理由をつけては◾︎◾︎に手料理を作ってくれるようねだった。ありていに言えば、胃を掴まれたのだ。
「あったまるー」
今日も今日とてあたしは◾︎◾︎の手料理をありがたくいただいている。今日はロールキャベツのクリームスープだ。残業上がりのあたしにぴったりな、夜遅くでも食べやすいスープ。スープといえどもロールキャベツがメインだからそれなりに空腹もまぎれるし満足感もある。なによりとろみのあるクリームスープは芯から冷えた体をあたためてくれる優秀なスープだ。
「夜遅くまで大変だな」
「あたしは家に仕事持ち込まないタイプだから問題ない。問題はアンタ」
労ってくれるのも悪くはないけれど、ダイニングからすこし離れたところにあるソファに身を委ねている◾︎◾︎はホットコーヒーをすすっている。ということは、だ。それはまだまだこれから仕事をやっつけるためのエネルギーを補給している、ということなのである。あたしもワーカーホリックなきらいはあるけれど、こいつもこいつで同じくらい、いや、それ以上なところがある。
「まぁ、でもオレのは趣味みたいなモンだから」
ソファからこちらへ移動してきた◾︎◾︎は、あたしの対面のダイニングチェアに座った。ふたりで食事をするときは決まっておたがいこのポジションだ。
「そんな過信してたらいつか過労でぶっ倒れるよ」
「なに。心配してくれてんの」
「まあ、それなりにね」
◾︎◾︎は嬉しそうに笑ってから、少し考えて意地悪な顔を作った。
「そーだよなー。オレがぶっ倒れたら●●のメシ作るヤツいなくなるもんな」
あの胃を掴まれた日から数えると、多分、五、六年は経過していて。小さなころから面識があるせいで当時は幼馴染をこえて家族みたいな間柄だったのに、今となっては恋人として連れ添っているのは大きな変化だ。その過ぎていく日々の中で、変わったことはほかにもたくさんあったけれど。今でも変わらないのは、おいしい料理を作り続けてくれているということだ。
「まぁ、それもそーなんだけど、」
意趣返しとして、あたしも◾︎◾︎に意地悪く微笑んだ。
あたしは◾︎◾︎の料理が好きだ。けれど、◾︎◾︎が料理を作っている姿をみているのも同じくらいに好きだ。優しい手つきで器用に包丁を使って食材を扱っていく。フライパンや鍋をメインにして、たまには電子レンジやオーブンなんかを使ってその食材たちに火を通す。そして、魔法みたいに調味料を自由に操って、あたしが好きな味を完成させる。それって、愛情がないとできないことじゃない?って思うから。
「こんなに愛を注いでくれるヤツがいなくなったら、寂しくて死んじゃうかも」
普段はこんな仕草、絶対にしないけれど。今日はいい気分だからわざとしなを作って小首をかしげてみせた。そしたら◾︎◾︎は驚いたみたいで目を丸くした。なにその顔。カワイイ。
「だからほどほどにしてよね、あたしのコックさん」
12/13/2024, 2:14:53 PM