【終点】
ちょっとわけが分からない。
ナガツカマユミは呆然としていた。自宅に帰る電車で寝過してしまい、終点まで来てしまったのだ。
(目が覚めたら、終点って…。)
見慣れない駅のホームでただひたすら突っ立っている。追い打ちをかけるようになかなかの大雨が降ってるんだからたまったもんじゃない。
世間で花金と呼ばれる金曜だが、マユミの勤めるマーケティング課では他部署がギリギリになって今週中に終わらせなきゃいけない仕事をねじ込んでくるせいで、いつも残業だ。
今日も案の定、週明けに取引先にプレゼンするからデータ集めて資料を作って欲しいなんていう無茶振りのせいで、遅くまでかかってしまった。だいたい、スケジュールは前から組んでるんだから、もっと早く言ってほしいもんだ。幸い、企画の段階で携わってた商品だったからまだ良かったけど、花の金曜に遅くまで残業、挙げ句の果て終点まで乗り過ごすなんて…。
もうほとんど泣きたい気持ちになりながら、スマホで付近のネットカフェを探し出す。とんでもないど田舎まで来てしまったわけではないらしく、少し歩いたところにソファ席のあるネットカフェを見つけた。それにしても、この歳になってネカフェに泊まるなんて。
晴雨兼用の折りたたみ傘を取り出し、絶望した気分で歩き出す。
(ああ、何もうまくいかないな。)
雨の中極力水たまりを避けて歩きながら、マユミは後輩のタケヨシとデートした日の事を思い出していた。あの後バーで飲み直して、計画通り終電は"逃した"ものの、期待していたことは起きなかった。
タケヨシの家の方が近かったので泊めてくれはしたが、マユミにベッドを貸してタケヨシはしっかりソファで寝たし、朝はコーヒーの香りで目が覚め、爽やかに送り出されてしまった。
恋に進展はないまま、火曜日という微妙な日に深酒してしまったので、翌日からのリズムは崩れ、疲れが蓄積して肌も心もボロボロなのだ。おかげで、金曜日の残業なんていつもの事なのに、電車で寝過ごしてしまった。
(30過ぎて無理なんてするもんじゃないな…)
すっかり肩を落としたまま、マユミはネカフェに入店し、受付を済ませて個室に入った。
ドリンクを取ってくるとか、シャワーを浴びるとか、何もやる気が起きない。思考停止したまま、パソコンの電源を入れ、SNSを適当に見始めた。いろんなアカウントをフォローしているが、最近は目が疲れるので音楽制作をしているアカウントを眺める事が多い。そこから気に入る楽曲が見つかれば、他の音楽再生アプリで探し出してはプレイリストに入れていた。
子供の頃はヴァイオリンを習っていたので、クラシック音楽に慣れ親しんでいるし、大人になった今、よく聞くのはインストゥルメンタルと呼ばれるジャンルや、ジャズ、R&Bなどの、チル系の音楽が好きだ。耳から脳をマッサージされているようで、疲れが取れる。反対に、メタルやあまりに激しいロックなどはめったに聞かない。
(でも今日は、なんかめちゃくちゃになりたい気分だな…。)
いつもフォローしているアカウントから関連するアカウントとして表示されるものを次々にクリックしながら、"刺さる"音源を探していく…。
ふと、ある投稿が目に止まった。黒い背景に、どきつい紫やピンクの服を着た女の子のイラストがアイコンになっている。反抗的に描かれた目が、いかにも中二病な雰囲気だ。
(なんか最近の子って感じ。)
普段ならやや抵抗を感じる界隈だが、今日は終点まで来ちゃったし、聞いてみるか、と再生ボタンをクリックする。
出だしは意外にも和太鼓から始まった。転びそうになるような優しいリズムが刻まれ、それに沿ってまだ幼さの残る少女の声が流れる。
負けないと思ってた 最強の自分
知らない誰かに 食い尽くされ…
しばしの沈黙が訪れたと思った途端、耳をつんざくようなドラムとエレキギターの音が雪崩のように流れ込んできた。音一つ一つが鋭いナイフのように内側を傷つけていく。最初に刻まれた転びそうなリズムは同じく絶えず繰り返され、そこに重ねられた音割れしたギターの音は、ブロック塀に絡みつくツル植物のように絡まり、ギチギチにがんじがらめになっているように思えて、それでいて決して重複しないパズルのピースのように一つの大胆な絵を構成しているようだった。
爆音に埋もれるように、喉を締め付けたような少女の叫び声が言葉を紡いでいく。
何もかも失えばいい
世界が消えても 虚しい空間にでも
わたしの音を響かせ続けてやる
お前の世界はわたしの世界と違う
わたしが決めた ここが終点だ
何もかも終わらせてやる
とても危うくて、アンバランスで、それでいて強烈なエネルギーの爆発。普段なら聞かない音楽。自分の内側がもう、血だらけになっているような気分だった。気がつけば、マユミは泣いていた。なんで泣いているかもよく分からない。ただひたすら咽び泣くような嗚咽を抑えていた。
「終点/REONA」と表示されたモニターが、青く光っていた。
8/10/2023, 2:34:22 PM