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みんな仲良くというような安っぽい歌が流れている
児童向けの歌の一部というのは安っぽい幸せを強要してばかりだ
そもそもみんな仲良くというのは無理なのだ
パズルピースのようにハマらないものがあって当然だ

数年は生きてきたが、僕に絆というのは向いていないらしい
どの人と関わっても僕は色に馴染めず浮いて見える
その反面、内面で僕は様々な言葉を紡いだ
内面世界では言葉を紡ぐ事を生業としていた
授業中に窓の外を見ていた
比較されるだけの学びには飽々していた
小鳥が通り過ぎていった
この小鳥はどこから来たのかまた何処へ行くのか想像を張り巡らせた
近くからだろうが
小鳥の行方は僕にとってとても興味深いものだった
学校が世界だと思っていたし
教室という牢の中が全てだと思っていた
窓から見える景色は異世界の事とさえ思っていた
そんな異世界から異世界へと移動する小鳥の存在は僕にとっては異世界への鍵、またトリガーであった。
そのトリガーは弾けないトリガーであった
義務教育という名の牢にいる限り、僕は鍵を握り
この現状を打破するトリガーを弾く事はない
内面世界で生き比較の学びをやるしか生きる術を持っていなかった

絆を大切にと義務教育は騒ぎ立てる
本物の絆が何かも知らない
それなのに絆を強要し仲の良さをステータスとする
絆というのは僕が嫌いな言葉の類だ
運命さえも糸で表すのだから絆など埃や塵の類でしかないだろう
絆を強要する世界に飽々していた
意味を調べたら絆の必要性が分かると思った
馬・犬・鷹、等をつなぎとめる綱。転じて断とうに断ち切れない人の結びつきを意味するらしい。
相手の情にひきつけられて心や行動の自由がしばられるという意味らしい。
行動の自由と心の自由がしばられ
断とうに断ち切れない関係など依存ではないだろうか?
絆、好き、愛、依存、という境界線が溶けていく
依存が絆ならば僕は何度、絆を結んだのだろうか
それとも絆というものは好きや愛の総称なのだろうか

次々に黒板に÷の記号が書かれていく
÷をずっと見ていると僕が前屈みになり見ているのが分かり虚無を彷徨う
黒板に書かれる事より内面世界で物語を書く事の方が価値を感じた
一般の学びとやらはただひたすらに押し付けがましいのだ
誰が作ったかも分からない計算式と採点方法と点数で周囲の反応が変わる
それをやる意味はなんだろうか
勉強の問題や数式が無かった時代も勿論あった
それでも生きていけたし死んでいけたのだ
なのに何故できたのだろう
最初は子供達に学びを提供したいや学びの楽しさを知る事が目的だったであろう
いつからか学ぶ事を数値化しそれが高ければ高い程幸せだと思うようにさえなった
先生が言ったいい学校とは何処が良いのだろうか
ただ学ぶべき場所なのにストレス発散と性的感情を持ち込む先生が生徒に不必要な物を持ってくるなと叱る権利はあるんですね。
名だけの権利が手元にあって良かったですね

先生が僕に謝罪を要求するまであと数秒。
ただの遊び場と化した教室は騒がしいったらありゃしない
謝罪する人と言って生徒に手を上げさせる先生で
僕が一度だけ上げたら先生も生徒も皆、僕に謝らせるようになった
今日も僕は言う

先生の貴重なお時間を奪ってしまい申し訳ありませんでした。
三年一組はもっと成長しますのでどうか授業を再開してくださいお願いします。

そう言われたら仕方ないかと言って気色の悪い顔で授業を始める
この教師は自己肯定を高める道具として生徒を使っているのだ
今日も名だけの権利を私利私欲に使いお勤めご苦労様です。
謝罪して言うこと聞いてたら好かれてると思うの愚かでいいですね
あの時の先生。

僕と先生の絆とやらは枯れました
まぁ最初からなかったですけど。
あるとしたら先生に傷つけられた心の傷なですかね



傷な

3/6/2024, 11:06:34 AM