「巡り会えたら」
「私ね、安田さんのことが好きかも」
突然の同じ病棟で生活する一人の患者のカミングアウトに驚きを隠せなかった。
「陽性転移」
という言葉がすぐに頭の中に浮かんだ。
陽性転移とは、クライアントがセラピストに対して、信頼や尊敬、愛情などの感情を向けること。大抵は、患者が医者に向けるもので、逆に否定的な感情を向ける場合は、陰性転移と呼ばれる。
ここは精神科だ。
そういうことは決して珍しくはないと素人でも分かる。
普通の、身体的な病や障害を治療するのではなく、もっと深いところにある傷などを治療する科だ。
ここの医者や看護師たちは、患者の話を聞くのが仕事の1つだ。おそらくだが、患者との距離感については大学の座学、実習などで厳しく言われているはずだ。患者と自分は別の人間であること、そうやって線引をして上手くコントロールしないとやっていけない仕事だと彼らも分かっている。ただ、自分の気持ちに寄り添ってくれた経験がない私たちにとっては、ただのカウンセリング中にカウンセラーが発した「それは辛かったね」という言葉が新鮮に感じるのだ。今まで言われたこともない人からしてみれば。自分が感じた辛さを認めてもらえ、それが次第に、好意へと変わる人もいる。
きっと彼女もそのひとりなのだろう。
「人に対して好意を抱く」その感情自体が悪いものではない。ただ、その時の状況や好意を向ける相手や自分が正常にものごとを判断できない状況では話は別になる。
残念だが、彼女の恋とやらは呆気なく終わるだろう。そうじゃなきゃ、ここの医者に対して不信感を抱いてしまう。
私は彼女の恋バナを右から左へと流していった。たまに頷き、リアクションさえ取っておけば問題はないだろう。
幸い、彼女が私が話を聞いていないことに気づかないほど、口は回っている。
「診察室に入る時ドキドキするよねー」なんて言われたが、私からすればドキドキもクソもない。
ここの居場所は悪くは思わないが、やはり入院するレベルに達している人がここにはいるから、少なくとも健康な人なんていない。
私たちが入院している病棟は、大体小学生から中学生までを扱う思春期病棟だ。だからまだ、マシな患者が多い。
10/3/2024, 1:22:47 PM